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安藤正子:普通の日々

開催中〜2026/09/06

原美術館ARC

群馬県・渋川市

可愛いだけじゃない!?ピングー展

開催中〜2026/09/06

YURAKUCHO MUSEUM(有楽町ミュージアム)

東京都・千代田区

弘法大師生誕1250年記念 特別展「空海と真言の名宝」

開催中〜2026/09/06

東京国立博物館

東京都・台東区

夏季展「えいえいやっとな!蔵出し!細川家の狂言面・装束」

開催中〜2026/09/06

永青文庫

東京都・文京区

「おたから」探してミュージアム!

開催中〜2026/09/06

府中市美術館

東京都・府中市

出光真子 おんなのさくひん――ある映像作家の自伝

開催中〜2026/09/21

東京都写真美術館

東京都・目黒区

ピカソmeets ポール・スミス 遊び心の冒険へ

開催中〜2026/09/21

国立新美術館

東京都・港区

町田市立国際版画美術館所蔵 長谷川潔展 ―パリに生きた銅版画家の軌跡

開催中〜2026/09/23

パナソニック汐留美術館

東京都・港区

“カフェ”に集う芸術家―印象派からゴッホ、ロートレック、ピカソまで

開催中〜2026/09/23

三菱一号館美術館

東京都・千代田区

特集展示「ガンダーラの仏像と仏伝―釈尊のすがた―」

開催中〜2026/09/27

半蔵門ミュージアム

東京都・千代田区

トニー・アウスラー:技術と霊知のはざま~魔術、メディア、アート~

開催中〜2026/09/27

TOKYO NODE(東京ノード)

東京都・港区

80 GRAPHIC TRIALS クリエイター80組とTOPPANによる挑戦の20年

開催中〜2026/09/27

印刷博物館 P&Pギャラリー

東京都・文京区

祈りと救いの美-国宝 普賢菩薩騎象像との出会い

開催中〜2026/09/27

大倉集古館

東京都・港区

東京都美術館開館100周年記念 この場所の風景―上野・大牟田・ブエノスアイレス

開催中〜2026/10/07

東京都美術館

東京都・台東区

「風そよぐ情景 ヴィクトリア朝絵画・フランス印象派」展

開催中〜2026/10/12

松岡美術館

東京都・港区

竹村京 うごくせかい

開催中〜2026/10/12

水戸芸術館現代美術ギャラリー

茨城県・水戸市

練馬区立美術館コレクション 若林奮ーRun and Restー 寺田真由美-不在の存在-

開催中〜2026/10/18

練馬区立美術館

東京都・練馬区

四季を写す絵画たち

開催中〜2026/11/08

ホキ美術館

千葉県・千葉市

マリー・アントワネット・スタイル

開催中〜2026/11/23

横浜美術館

神奈川県・横浜市

ルネ・ラリックにみる 日本とフランスの“かわいい”文化交流

開催中〜2026/12/06

箱根ラリック美術館

神奈川県・箱根町

生誕140周年記念企画「ニューヨークの藤田嗣治」展

開催中〜2027/01/11

軽井沢安東美術館

長野県・軽井沢町

方丈記に学ぶ―生きるを編み直す小さな建築ー

開催中〜2027/01/11

21_21 DESIGN SIGHT

東京都・港区

世田谷文学館コレクション展「没後30年 宇野千代展」

開催中〜2027/03/28

世田谷文学館

東京都・世田谷区

モネ没後100年・開館25周年記念 あたらしい目 — モネと21世紀のアート

開催中〜2027/04/07

ポーラ美術館

神奈川県・足柄下郡箱根町

Exhibitions

『戦争画の相貌〜花岡萬舟連作〜展』を見て!

久しぶりに早稲田大学会津ハ一記念博物館まで足をのばしてきました。2006年に寄贈された「戦争画:花岡萬舟の57点」のうち、25点が修復され展示された。現代ではほとんど忘れられた”幻の画家”花岡萬舟は”孤高の人”のごとく、画壇に関わらず、個人で展覧会活動をおこない、従軍画家として特別待遇を受けた「藤田嗣治」らとはかなり違った経歴だったようです。
東京国立近代美術館に所蔵されている「戦争記録画」の大半は、陸海軍が委嘱する公式の戦争画で、重要な軍事的事項を記念する歴史画として、戦時中、新聞社や戦争画家の団体が主催する大規模な展覧会が列島内外を巡回した。横山大観、梅原龍三郎、藤田嗣治等が取り組んだ作戦記録画には、当人たちの思惑(戦争反対・賛成論議)は別にして、軍部社会の要請に触発された結果だったのかも知れない。突如降りかかってきた戦争という事態が、美術家たちにとって縁遠く、もの珍しく、日常からかけ離れた風景・風俗・風光を見てみたいという好奇心に因るものだったのかもしれない。
花岡萬舟の特筆すべき点は、日本画らしい日本画と洋画らしい洋画を並行して手がける、昭和初期には類例のない油彩技法を身につけていた。単なる画家としての従軍ではなく、上海事変の前から中国で活動し、1933年には上海事変(第1次)の戦跡にも足を運んで油彩による「爆弾三勇士」の大作を描き、この時期まだ、絵心のある職業軍人たちの絵画制作が中心でプロの画家の働きかけは活発ではなかった。日中戦争が始まると、中国人(中国名:陳張波)になりすまし、大道芸人になり諜報活動をして、工作員のような任務に従っていたらしい。この間の事情は萬舟をモデルにした関澤秀隆氏の小説「敵前潜行」に詳しい。このことから考えても、前出の画家たちと一線を隔す”謎めいた解読不可能な人物”というレッテルが相応しい。萬舟が自らの立場を戦争という事態の「内側」においていたということがいえるのかも知れない。
帰国後の萬舟は”油彩画に、日本画に平気で愚作を描きなぐり、「最高の徳は不要なり」の如くに、「その傑作も不要なるものの如くに描き上げる!」”と書いているのをみてもわかるとおり、作品の出来栄えには頓着しない精神運動が必要であり、「戦友道」とも言うべき美しき人間道徳をもってどこまで生きられるのかという命題を背負って設立した忠愛美術院の活動を積極的に進める。忠愛美術院は美術団体である以前に精神修養団体だった。戦場で傷ついたいわゆる「白衣の勇士」の手になる作品を大量に受け入れ、彼らの社会復帰のための手当てが模索されていた事実、その後の人生設計にもかかわろうとした形跡は、単なる美術家という範囲を超えている。1941年11月には、忠愛美術院では、傷痍軍人に美術教育をほどこすための「美術道場」の建設にも取り掛かっていたらしい。練馬富士見台に1942年2月竣工予定のこの「忠愛美術研究所」は、白衣の勇士や遺族の子弟で美術の途に進もうとする人々を集め、花岡萬舟、津田正周、高澤圭一の諸画伯ほか同人全部で指導するものであったという。(早稲田大学:河田明久氏文抜粋)
最後に、特筆すべきは「銃後戦線」「銃後ト戦線ノ勇士」の二つの画に、作品記録画の中に勇士たちのつぶやきとしての”ふるさとの情景” “生まれ育った田舎の風景”を噴出しのように取り入れて描いていることが{日本人特有の原風景}が漂い、非常に感慨深く伝わってくる!!!
ヘドデル・キドリンスキー

2009年7月22日