磯崎新の代表的建築である水戸芸術館での大規模な回顧展
美しく濃密な内容の展覧会だ。2022年12月に亡くなられた磯崎新先生が、会場にふっと、にこやかにお姿をお見せになりそうだとも思えた。何を語られるだろう。
20世紀を代表する世界的な建築家であり、思想家である知の巨人・磯崎新(1931-2022年)。その60年を超える多彩な活動を紹介する大規模な回顧展が、磯崎の設計による水戸芸術館(Art Tower Mito。1990年3月開館)で開かれている。本展企画は、水戸芸術館現代美術センター 主任学芸員の井関悠さん。ゲスト・キュレータに、五十嵐太郎(建築史家、東北大学教授)、ケン・タダシ・オオシマ(ワシントン大学建築学部教授)、松井茂(詩人、情報科学芸術大学[IAMAS]教授)の3氏を迎え、会場設計は日埜直彦氏(建築家)が担った。井関さんが「磯崎さんと関わりの深い最強のメンバー!」という方々だ。4氏は展示解説も担当。
磯崎新は2019年、建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を受賞。バルセロナ・オリンピック室内競技場、ロス・アンジェルス現代美術館など数多の優れた建築設計や、中国河南省鄭州市の都市計画などを手掛けた。また国際的に注目され伝説的となったパリでの『間-日本の時空間』展(巡回)などの展覧会の企画・キュレーション、建築思想の国際会議(Any会議)の企画などを行い、『空間へ』、『建築の解体』、『磯崎新+篠山紀信 建築行脚(全12巻)』、『建築における「日本的なもの」』など刺激的な多くの著作を生み出した。磯崎は深い思索のもと常に時代に先んじる活動を実践した。若い建築家たちを巻き込み、次世代への道を広げた。芸術家や知識人らとも交流し、幅広い分野に影響を与えた。卓抜なる建築家であり、稀有な存在の「大きな人」であった。
本展の特徴は、第一に磯崎新の「群島(アーキペラゴ)」のような多岐にわたる領域での活動の全体像を紹介し(※なお「群島」とは、磯崎が深い意味をこめて使った言葉)、第二に「水戸芸術館」自体を本展の出品作品の一つとして位置付けていることだ。建築展は難しいとよく言われる。原因の一つが建築の実作を出品できないことだが、本展はそこを丁寧な形で突破する。展覧会と水戸芸術館の建築を回遊する体験は格別である。
水戸芸術館を訪れる
さて、水戸芸術館に向かうところから記そう。銀色に輝く不思議な塔(タワー)が見える。正四面体が連続してねじれながら天にのびるこの塔は、水戸芸術館のシンボルタワーだ。高さ100m。水戸市政100年を記念しての開館に因む数字である。ルーマニアの彫刻家コンスタンティン・ブランクーシの無限柱やイサム・ノグチの作品に想を得たとされるが、きわめて独特だ。塔に導かれ、水戸芸術館に到着。ケヤキの大樹3本がつくる緩やかな境界(南)から広場へ入る。右側(東)に塔がそびえ、左側(西)の手前から、会議場、劇場、コンサートホール、ギャラリーが60×60mの正四角形の広場を囲む。正面奥に巨石が浮き水を浴びるカスケードが見える。その背後のピラミッドの屋根を中央にもつ建物が現代美術ギャラリーだ。(※なお水戸芸術館は周囲からも入ることができ、開放的な場所となっている。)
現代美術ギャラリーで展覧会をめぐる
エントランスホールから現代美術ギャラリーに入ると、入口で作品リストと配置図と共に、五十嵐太郎氏の監修・執筆による「公式 水戸芸術館建築マップ」が渡される。驚くべき見事なマップだ。ちょっと広げて自分が今どこにいるのかを確認してみる。
本展は、SINという人の仕事をARATAが記述した「都市破壊業KK」で始まる。1962年、31歳の磯崎が「新建築」で発表した過激ともいえる文章だ。
第1展示室は天窓からの明るい光のもと、精緻で意志を持つがごとき芸術作品のような木造模型が並ぶ。手前は《空中都市 渋谷計画》(1960-62年)。樹木の森のようなアンビルトの空中都市構想である。磯崎はイタリア・ルネサンスの建築家のように木造模型を多く制作し、建築のコンセプトを込めた。この展示室では主に都市計画の構想をテーマとする。
それにしても一つの展示室だけでも、いや一つの建築プロジェクトだけでも大変な情報量である。一つ一つの出品作品に思想がつまっている。
ところで、現代美術ギャラリーの形態と構成はどのようなのか、つかんでおこう。全体の形態は直方体で、ピラミッドの屋根と三角の屋根が付く。第1展示室を含めて5つの展示室がまっすぐに並ぶ。開口部は3×3m。各展示室は光の入り方が異なり変化に富む。そして全体を貫く長い廊下のような第6展示室がある。その先に角度を変えて、さらに二つの展示室が配され、少し離れた場所に最後の第9展示室がある。磯崎の設計によるこのギャラリーに、会場設計の日埜直彦氏が軸線を意識した作品配置を行った。全てが展示作品と一体となって、この磯崎新世界が現出している。
暗い第2展示室では、磯崎がコミッショナーとして関わった仕事を紹介する。《くまもとアートポリス》(1988-91年)では、多くの建築家を公共建築設計に起用した。黒川紀章(1934~2007年)から引き継いだ中国河南省鄭州市の都市計画は現在、実現しつつある。
中央の第3展示室は天井が高く、トップライトから一段と明るい光が入る。ピラミッドの屋根のある場所だ。ここには水戸芸術館(1986-90年)と塔の模型が置かれる。見ていると、自分が入れ子状態のようだと気づく。水戸芸術館は、演劇、音楽、美術の芸術複合体としての文化施設だが、それぞれの建築を独立させながら、ヨーロッパの都市にあるように塔とともに広場を囲む。建築の特徴は、幾何学形態の多用と歴史的建築からの引用とされる。
第3展示室の壁面には、磯崎が1970年代に設計した主要建築の版画「還元シリーズ」(シルクスクリーン刷:石田了一)が並ぶ。実現した建築から幾何学形態を抽出して表現した版画は、コンセプトを芸術作品として伝える。磯崎は自作を様々なメディアで発表した。初出品である磯崎のスケッチ帖も展示されている。磯崎はカメラでも撮影したが、スケッチをするとよく観察できるとのことで、スケッチを好んだ。80冊に及ぶスケッチを残したという。描かれているのは主に海外の建築物や街並み。卓抜な筆づかいに眺め入った。磯崎は建築史への深い造詣をもつ建築家であった。
第4展示室は暗い空間。実現したプロジェクトを紹介する。岡山県の《奈義町現代美術館》(1991-94年)では、磯崎は、荒川修作+ギンズ、岡崎和郎、宮脇愛子の3人のアーティストにまず作品を構想してもらい、その作品のためにだけ構成された建築空間を設計した。多くの美術館設計を手掛けた磯崎が新たに提唱した、場と作品が結びつくサイトスペシフィックな「第三世代の美術館」である。作品は太陽、月、大地のメタファーという。このようなアーティストとの共同作業を磯崎はしばしば行った。一方、《秋吉台国際芸術村》(1995-98年)の音楽ホールは、ルイジ・ノーノ作曲「プロメテオ」の演奏のためのサイトスペシフィックな施設だ。また、異なる建築を作りながら場所を作るという「群島」の概念を実現させたのが、《秋吉台国際芸術村》であった。
第5展示室は、磯崎の出身地である大分市の大分県立大分図書館(現・アートプラザ)(1962-66年、97年改修)をはじめ、初期の1960年代から80年代の建築を展示。続く細長い第6展示室では、1990年代以降の建築を紹介する。1992年バルセロナ・オリンピック室内競技場である《サンジョルディ・スポーツパレス》(1983-90)年、なら100年会館(1992-98年)は、地上で組み立てられたドームの断片をヒンジで連結し、押し上げながら空中で固定するというパンタドーム工法による建築である。2000年以降の建築やプロジェクトでは不定形がみられる。樹木のような太くうねる柱が200mの屋根を支える《カタール国立コンベンションセンター》(2004-11年)は、コンピュータアルゴリズムによる構造解析を使用した。
第7展示室は、主に建築外(美術)を扱う。磯崎が企画・キュレーションを行った『間』展に関連して、ゲスト・キュレータの松井茂氏はある問いを放つ展示を行った。『間』展で展示されたが破棄され、巡回先のニューヨークで再現された高松次郎の作品《柱と空間》(1979年)を、残された1枚の写真と1枚の図面から再現し、磯崎のフォトモンタージュ《再び廃墟となったヒロシマ》(1968年/2025年)と並置した。
また実現はかなわなかったが、イギリス、アスコットの《オノ・ヨーコとジョン・レノンの和室(茶室)》(1971)なども紹介され、興味深い。
第8展示室では、《モンロー定規》、《モンロー・チェア》などを、少し離れた第9展示室では、水彩画(1994年)や年譜などを展示。筆者は軽井沢高原文庫を訪ねた際、緑の中に、磯崎が敬愛する早世の建築家で詩人の立原道造(1914-39年)のために制作した詩碑を見つけて感動した。水彩作品群のうちにその立原道造詩碑も見出した。製図板をイメージしたようだ。水彩画はどれもが清新な輝きを放ち、磯崎の心に接することができるように感じた。この最後の展示室では磯崎が使った椅子とテーブルで資料を読むことができる。
「水戸芸術館 建築マップ」と共に水戸芸術館をめぐる
さて、一息入れて、水戸芸術館をめぐってみよう。見学ツアーは毎日開催されており、当日使用されている場所以外は内部見学もできる。また建築マップを見ながら自分で見学するのも楽しい。
エントランスホールは、高さ11m、奥行き22mの直方体の吹き抜け空間だ。パイプオルガンが設置されている。佇むと晴れ晴れした心持ちになる。コンサートホールATMは、円を内包した六角形で白を基調とする。実演を聴くと不思議なくらいに演奏者が観客に近く感じられる。ACM劇場は、円筒形と立方体を組み合わせた形態。暗い内部は十二角形。グローブ座などに想を得たとされる。現代美術ギャラリーは先に詳述した通りだ。また会議場は、直方体と半分の円筒形を組み合わせた形態。照明やカーテンも面白い。そして塔は、驚くことに先端までエレベータで昇ることができる。
なお、広場に設置されていて子供たちが時折遊んでいる白い巨大な箱型のものは、本展の出品作品である。
磯崎新の言葉
水戸芸術館の建築についての磯崎の文章を紹介したい。
「〈建築〉1986……正四面体を積み上げることによって生み出される三重螺旋が、竜巻のように、水中から竜が上昇するイメージを喚起する。市の生誕百年を記念している無限柱。中央にある正方形の広場を取り囲んで、立方体、円筒、ピラミッドなどの基本構造体の集合によって構成された劇場、コンサートホール、ギャラリーなどの芸術館の古典主義的構成が、チタニウムで覆われた未来を指示する塔と対立的に配置される。 磯崎新」
(『ARATA ISOZAKI WORKS 30-Architectural Models, Prints, Drawings(磯崎新の建築30 [模型, 版画,ドローイング]』259頁 六耀社 1992年より)
水戸芸術館の初代館長は、音楽評論家の吉田秀和氏。指揮者の小澤征爾氏は、専属楽団である水戸室内管弦楽団の総監督・顧問を担い、吉田館長逝去後2013年から24年まで館長を務めた。現在の館長は、評論家で慶応義塾大学法学部教授の片山杜秀氏。水戸芸術館は音楽、演劇、美術の三部門とも開館以来、建築を活かし、大切に使いながら、活発な活動を行い、人々を魅了し続けている。
筆者は幸運にも磯崎新先生の著書を14冊編集させていただいた。最初は、国内外向けの大型書『ARATA ISOZAKI WORKS 30-Architectural Models, Prints. Drawings(磯崎新の建築30 [模型, 版画,ドローイング])』(六耀社、1992年)。次は、『文化施設が活きた No.1 水戸芸術館』(磯崎新 監修 財団法人水戸市芸術振興財団 編纂、財団法人水戸市芸術振興財団/六耀社、1999年)。自分にとって水戸芸術館はとりわけ親しみ深い場所である。そして、長年かけての『磯崎新の建築談議 全12巻』(六耀社、2001-04年)の編集である。その間、磯崎先生に貴重なお教えを多々いただいた。ありがたく思う。
磯崎先生は監修してくださった『水戸芸術館』の本で、「公共文化施設は空箱であってはならない。施設(ハード)と中味(ソフト)が同時に活きることが重要」ということを強調された。水戸芸術館はその理想を実践し続けるモデルとして紹介なさった。
この水戸芸術館で、井関さんらキュレータと関係者の方々が精魂込めてつくり上げた「磯崎新:群島としての建築」展である。是非、水戸芸術館に足を運び、磯崎新さんの建築と思想を体験してほしい。
【参考文献】
1)五十嵐太郎 監修・執筆:『公式 水戸芸術館 建築マップ』イスナデザイン イラスト、 公益財団法人水戸市芸術振興財団、2025年
2)磯崎新 監修、財団法人水戸市芸術振興財団 編纂:『文化施設が活きた No.1 水戸芸術館』財団法人水戸市芸術振興財団/六耀社、1999年
3)磯崎新:『ARATA ISOZAKI WORKS 30-Architectural Models, Prints. Drawings(磯崎新の建築30 [模型,版画,ドローイング])』石元泰博 模型撮影、六耀社、1992年
4)磯崎新:『磯崎新の建築談議 全12巻』篠山紀信 撮影、五十嵐太郎 インタビュー 、 六耀社、 2001-04年
5)二川幸夫 編集・撮影、磯崎新 文:GAアーキテクト『磯崎新1991-2000』エーディーエー・エディタ・トーキョー、 2000年
執筆・撮影:細川いづみ(HOSOKAWA Fonte Idumi)
(2025年12月)
※会場内の風景画像は主催者側の許可を得て撮影したものです。
※本文・図版とも無断引用・無断転載を禁じます。
磯崎新:群島としての建築
Arata Isozaki: Archipelagos of Architecture
【会期・会場】
2025年11月1日(土)~2026年1月25日(日) 水戸芸術館 現代美術ギャラリー(茨城県水戸市)
※詳細は公式サイトでご確認ください。
公式サイト https://www.arttowermito.or.jp/