大覚寺の歴史を辿る:真言宗大覚寺派の大本山/歴代天皇と深く関わる
大覚寺は京都西北の嵯峨に在る、弘法大師空海を宗祖とする真言宗大覚寺派の本山である。正式名称は、旧嵯峨御所 大本山大覚寺。いけばな嵯峨御流の総司所(家元)でもある。その歴史は1200余年前の平安時代初期、嵯峨天皇が造営した離宮嵯峨院に始まる。そして876年、嵯峨天皇の皇女・正子内親王が主導して仏寺に改め、大覚寺の寺号を得た。
よって来年2026年に大覚寺開創1150年を迎える。その記念の大規模な展覧会が、東京で初めて開かれている。二組の五大明王像、123面もの華麗な障壁画(襖絵と障子絵)など貴重な寺宝が揃う。展示方法も秀逸で、会場の東京国立博物館 平成館の広大なスペースを活用した驚くべきもの。大覚寺は歴代天皇や皇統の方々が門跡(住職)を務めた。この寺宝群が発する雰囲気は格別だ。実に雅(みやび)なのである。
展示構成
本展は次の4つの章から構成されている。
第一章 嵯峨天皇と空海―離宮嵯峨院から大覚寺へ/第二章 中興の祖・後宇多法皇―「嵯峨御所」のはじまり/第三章 歴代天皇と宮廷文化/第四章 女御御所の襖絵―正寝殿と宸殿
嵯峨天皇と空海(平安時代初期):五大明王像/天皇書写の般若心経
上述のように大覚寺の始まりは、9世紀初めの平安初期、嵯峨天皇(786~842年)(在位809~823年)が即位直後に造営した離宮嵯峨院である。この辺りは風光明媚な禁野(きんや)の狩猟場で、嵯峨天皇は親王の頃より親しんだ場所だった。20代の嵯峨天皇はほどなく、12歳年上の真言密教の開祖・弘法大師空海(774~835年)と出会う。空海は中国の唐で体系的な密教を修得し、806年に帰国していた。天皇は空海のよき理解者となった。なお両者は、三筆(橘逸勢と共に)のうちの二人であり、名筆でも有名だ。
本展の最初に二人それぞれの肖像が展示されている。筆者は、嵯峨天皇と空海の二人の邂逅と緊密な交流を興味深く思う。二人はどんな会話を交わしたのだろう。空海の状況を少し見ておくと、唐から帰国後、最初に活動を始めたのが、京都の神護寺の前身である高雄山寺だった。それは大覚寺から北の山奥にある。神護寺は824年に創建された(※空海と神護寺については、2024年8月26日付の拙稿「創建1200年 特別展 神護寺展 空海と真言密教のはじまり」を参照ください)。唐の文化に憧れ愛した教養豊かな嵯峨天皇は、唐で最先端の密教を恐るべき速さで修得し、名筆であり詩文にも長じた空海を、師として敬愛した。と同時に二人は互いに息の合う通じ合う関係であったろう、筆者はそう想像する。
●五大明王 嵯峨天皇は空海の勧めによって、離宮内に持仏堂を造り、五大明王像(現存せず)を安置した。五大明王とは、密教特有の威力ある五明王の総称。不動明王、降三世(ごうざんぜ)明王、軍荼利(ぐんだり)明王、大威徳明王、金剛夜叉明王、を指す。いずれも険しい表情の忿怒形で、多くの顔や手足をもつなど異形の姿だ。当初の五大明王像は現存しないが、大覚寺の本尊は五大明王である。
本展では、平安後期の明円(みょうえん)作《五大明王像》(重要文化財)、及び室町時代と江戸時代に制作された像高約2mの大きな五大明王像(一部が重要文化財)の二組が揃った。明円(?~1199頃)は円派の仏師。その手になる五大明王像は優雅で気品があり、鎌倉時代の写実表現へ向かう息吹をも感じさせる。長い時間眺め入った。
●嵯峨天皇が書写した「般若心経」 嵯峨天皇は、818年に大飢饉と疫病が流行した際、空海の勧めで「般若心経」を浄書し、安寧を祈願した。この天皇自筆の「般若心経」は現存する!(※出品なし) それは続く天皇たちの書写と共に大覚寺内の一番奥にある「勅封心経殿」に厳重に納められ、60年に一度開封される。嵯峨天皇が書写した「般若心経」は、大覚寺にとって五大明王像と共に最大の信仰の要なのだ。
空海は、816年に嵯峨天皇の勅許を得て高野山の金剛峯寺を開創し、823年教王護国寺(東寺)を下賜されて活動した。嵯峨天皇は、平安時代に栄えた王朝文化を率いた人物といえる。823年の譲位後、この離宮に御所を新造し移り住み、文人たちを集めて詩宴を度々催した。天皇は御所の南側に、唐にある洞庭湖を模した大沢池(庭池とも呼ばれる)を造営した。これは日本最古の人造湖とされる。大沢池に船を浮かべ観月を楽しむ当時の様子が思い浮かぶ。なお大覚寺の伽藍は、かつては大沢池の北に位置した。度重なる戦乱によって堂宇は度々焼失し移築された。現在は大沢池の東側に並んでいる。
中興の祖・後宇多法皇(鎌倉時代後期)
鎌倉時代末期の後宇多法皇(1267~1324年)は、大覚寺中興の祖とされる。真言密教に篤く帰依した。修行し祈祷を行い、弟子を育て、伽藍整備を進めた。譲位後はここに仙洞御所を新造し院政を行った。本展には後宇多法皇の書として、空海への敬愛を込めて自ら著した国宝《後宇多天皇宸翰(しんかん) 弘法大師伝》(※前期展示)、及び大覚寺の興隆を願う条文を記した国宝《後宇多天皇宸翰 御手印遺告(おていんゆいごう)》(※後期展示)等が出品。
また会場には、清和源氏の兄弟刀として有名な二口の太刀が並び置かれ、注目される。大覚寺蔵「薄緑」「膝丸」の伝承を持つ太刀(鎌倉時代)と、京都・北野天満宮蔵「鬼切丸」「髭切」の伝承を持つ太刀(平安~鎌倉時代)だ。共に重要文化財。
室町~安土桃山~江戸時代へ
大覚寺は南北朝時代、大覚寺統(後の南朝)の本拠となって戦火を浴び、室町時代末期に一時荒廃したが、織田信長、羽柴(豊臣)秀吉らから寺領を安堵され、再び伽藍が整備された。その後幕末まで天皇家や近衛家から門跡を迎えた。
大覚寺境内の伽藍配置
前述したように現在、大覚寺の伽藍は大沢池の東側に並ぶ。江戸時代に再建された勅使門から、右手に五大堂、左手に重要文化財「宸殿(しんでん)」、その北西の少し奥に重要文化財「正寝殿(しょうしんでん)」が建つ。勅使門より真直ぐの最奥に八角堂の「勅封心経殿」が建つ。
「正寝殿(客殿)」は、12の部屋を持つ寝殿造の建造物。安土桃山時代の遺構とされる。歴代門跡の居室(御座所)として使われた。
「宸殿」は、紫宸殿の略称。伽藍の中心となる寝殿造の建造物。御所での公式行事を行った。清涼殿に似るといわれる。宸殿は江戸時代初期、後水尾天皇に入内した江戸幕府2代将軍徳川秀忠の娘・徳川和子(まさこ)(東福門院)の女御御所(にょうごごしょ)を後に移築したものと伝来する。
正寝殿と宸殿の建物内は水墨や金碧濃彩の障壁画で飾られ、240面が重要文化財。本展には内、前後期あわせて123面が出品。会場では、大覚寺の部屋に飾られていた絵画を一列に配し、観る者は絵画全体を浴びるような感覚で実見できる。
「正寝殿(客殿)」の絵画:狩野山楽/渡辺始興
「鷹の間」に描かれた狩野山楽筆の水墨画《松鷹図》13面(※前期展示)は、鷹が子育てをする珍しい場面もある。そして松の大樹の幹と枝ぶりは、のたうち回る大蛇のごとし。その動勢に目を見張った。本作は、山楽が師である狩野永徳筆の国宝《檜図屛風》(東京国立博物館蔵)(※出品なし)の描法を継いだ作品とされる。
「雪の間」に描かれた渡辺始興筆の重要文化財《雪景山水図》(※後期展示)は水墨山水画。大きな余白が絶妙に雪深さを表す。また始興筆の重要文化財の障子腰板絵《野兎図》の兎たちは楽しげだ。渡辺始興(1683~1755年)は狩野派と後に琳派に学び、京で活躍した。
「宸殿」の絵画:狩野山楽
「牡丹の間」の狩野山楽筆の重要文化財《牡丹図》18面の襖絵は、20m超に連なり、息をのむ。金地背景に実物大ほどの大きな牡丹が、いくつかの固まりで歌うようにリズミカルに曲線状に配される。岩は垂直水平の直線で対比的だ。鳥や蝶の姿も見える。すべてが響き合い、豊麗の極みである。
「紅梅の間」の狩野山楽筆の重要文化財《紅白梅図》8面は、《牡丹図》の裏に描かれている。金地に二本の巨樹と水辺を描き、鳥たちが遊ぶ。梅の枝がどこまでも伸びる。梅の蕾が少しずつ開花する気配がする。生命の息吹を感じさせる溌溂とした作品だ。
狩野山楽(1559~1635年)は、安土桃山から江戸時代初期に活躍した絵師だ。豊臣家と徳川家の戦いで分裂した絵師集団・狩野派のなかで、豊臣家側について京都に残った京狩野の祖となった。山楽は、師の狩野永徳(1543~90年)ゆずりの華やかで力強い画風を受け継ぎ、かつ装飾的な調和のとれた名品を数多残した(※狩野永徳と山楽については、2020年11月23日付の拙稿「特別展「桃山―天下人の100年」を参照ください)。
大覚寺になぜ山楽の作品が多いのか。それはまだ解明されていないそうだ。
また最新の調査から、「宸殿と正寝殿の障壁画は複雑な改変と移動を伴い、」(※参考文献1)の論考。金井裕子「百花繚乱―大覚寺をめぐる美術」22頁より)、つまり移築の際に位置を変えたようだと判明した、という。よって絵画全体と対面できる今回の展示方法は、重要で意味深い。金井裕子氏ら東京国立博物館の本展企画者の卓見と妙案に感謝したい。
東京での画期的な本展を満喫してほしい。そして京都の大覚寺にも足を運んでほしい。
【参考文献】
1)東京国立博物館・読売新聞社・大本山大覚寺 編集:『開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺 ―百花繚乱 御所ゆかりの絵画―」』、読売新聞社・日本テレビ放送網・BS日テレ 発行、2025年
2)下泉恵尚・山折哲雄:『古寺巡礼 京都28 大覚寺』、淡交社、2008年
執筆・撮影(★を除く):細川いづみ(HOSOKAWA Fonte Idumi)
(2025年2月)
※会場内の風景画像は主催者側の許可を得て撮影したものです。
※本文・図版とも無断引用・無断転載を禁じます。
開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所
大覚寺 ―百花繚乱 御所ゆかりの絵画―」
Special Exhibition
Commemorating the 1150th Founding Anniversary of Daikakuji
Treasures of Daikakuji: From Imperial Villa to Buddhist Temple
【会期・会場】
2025年1月21日(火)~3月16日(日) 東京国立博物館 平成館(東京都・台東区)
・前期展示 1月21日(火)~2月16日(日)
・後期展示 2月18日(火)~3月16日(日)
[開館時間]午前9時30分~午後5時(入館は閉館の30分前まで)
※夜間開館について:2月21日(金)以降の金・土曜日及び2月23日(日・祝)は、
午後8時まで開館(入館は閉館の30分前まで)
※詳細は公式サイトでご確認ください。
公式サイト https://tsumugu.yomiuri.co.jp/daikakuji2025/