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六本木開館10周年記念展 
天下を治めた絵師 狩野元信

2017年10月31日

狩野派の礎を築いた狩野元信(かのう・もとのぶ)とは?
その卓抜の画技とアイデア。サントリー美術館にて11月5日まで。

 ■狩野派の二代目、元信の存在の大きさを知る
 狩野派は、狩野家を核とする絵師の専門家集団であり、日本最大の漢画系流派だ。室町幕府の御用をつとめ、天下人の織田信長や豊臣秀吉からも愛され、江戸幕府の御用絵師となり、幕末まで約400年間続く。この狩野派の基礎を築いたのが、二代目の狩野元信(1477?〜1559年)である。始祖・狩野正信(1434~1530年)の息子だ。東京のサントリー美術館で、狩野元信を単独で紹介する初めての展覧会が開催中されている(11月5日まで)。元信が活躍したのは室町時代後期。イタリア・ルネサンスの巨匠ミケランジェロ(1475~1564年)と同世代に当たる。江戸時代、近松門左衛門が書いた人形浄瑠璃『傾城反魂香』(1708年に初演)には、元信が描いた虎があまりの見事さのゆえ掛軸から実物の虎となって抜け出す、という話が出てくる。元信の名声は、現在よりも広く届いていたようだ。

 サントリー美術館は狩野元信が描いた《酒伝童子絵巻》を所蔵し、2015年、本作が重要文化財に指定されたことを契機に、念願の狩野元信展の準備を進めたという。本展覧会は、元信の80歳を超える生涯の画業と活動を丁寧に紐解いてくれる。筆者は、先に起こる狩野派の展開を感じながら、その始まりに立ち合っている印象をもった。元信の孫は、桃山時代の豪快な金碧障壁画で名高い狩野永徳(1543~90年)であり、永徳の孫は、江戸幕府の御用絵師となり余白を活かした瀟洒で端正な新しい様式をつくった狩野探幽(1602~74年)。その後も幕末まで連綿と連なる。狩野派における元信の存在の大きさが、強く伝わってくる展覧会である。(※作品は会期中に展示替えがあります)

 ■展覧会構成
 展覧会は以下のように6つの章から構成されている。
 第一章 天下画工の長となる―障壁画の世界/第二章 名家に倣う―人々が憧れた巨匠たち/第三章 画体の確立―真・行・草/第四章 和漢を兼ねる/第五章 信仰を描く/第六章 パトロンの拡大

 ■代表作、旧大仙院方丈障壁画を見る 
 展覧会会場に入ってすぐ、狩野元信筆の重要文化財《四季花鳥図》(紙本墨画淡彩 八幅、室町時代 16世紀、京都・大仙院)の大画面に目を奪われた。いまは掛軸だが、もとは障壁画。京都の大徳寺塔頭である大仙院の方丈の「檀那の間」の襖を飾っていたものだ。本展の前期(9/16~10/2)に秋と冬の景を、後期(10/18~11/5)に春と夏の景の四幅ずつを出品。ともに水墨による風景に赤や黄や緑色に彩色された鳥や花が配される。近くの岩や大樹や滝は力強い筆致で、遠くの風景は霞むような柔らかな筆により、また鳥や牡丹などの花は繊細な線で緻密に生き生きと描かれる。空間の大きな広がりが感じられる。松の大樹の後方に流れる滝は、ゴウゴウと音が聞こえるようであり、鳥たちは対話しているようだ。障壁画としての効果は抜群であったろう。画面全体に変化がうまくつけられ、観る者を飽きさせない。元信一派は大仙院で四室四十面を担当したとされるが、画業の初期の段階で、建築の一部となる大仕事を見事にこなしていた。

 父・正信の作品も並ぶ。正信は中国絵画を規範とする新画風を狩野派として創始したが、元信はそのことを守りながらも、類まれな画力で観る者に、よりわかりやすい作品を描いたといえそうだ。

 ■三つの画体を確立  
 元信について、後の京狩野家三代目である狩野永納(1631~97年)は『本朝画伝』(1691年<元禄4年>刊行)で「狩野氏終に元信を得るに至りて、天下画工の長となる」、「世に古法眼(こほうげん)と称し、狩野氏の宗とする所なり」と記した。このように伝えられた元信の狩野派台頭への功績は幾つもあるが、最大のものは、真・行・草(しん・ぎょう・そう)の三つの画体を確立したことだった。三種の元信様式をつくり、弟子に習得させることで、絵師集団としての高度な制作活動を可能にした。驚くべき画期的な方法である。

 会場では、元信の作品に「真体」「行体」「草体」の表示がされ、比較ができる。上述の旧大仙院方丈障壁画の花鳥画は「真体」とある。一方、「草体」と表示された伝狩野元信《草山水図襖》(紙本墨画 八面、室町時代 16世紀、京都・真珠庵)を見ると、勢いのある太い筆使いと少ない筆数で見事に風景が描写されている。「行体」の作品は両者の中間となるようだ。晩年に描いた親しみ深い雰囲気の《四季花鳥図屏風》(「元信」印、紙本墨画淡彩 六曲一双、室町時代 1557年〈弘治13年〉頃、一般財団法人 太陽コレクションで)(※10/9までの展示)は、「行体」の花鳥走獣画である。

 室町時代の絵師たちは、中国の特に南宋の名画家の作品を模範として学び、その構図や描法を真似た「筆様」を使い分けて制作することが求められた。しかし元信は、筆様を学ぶ方法では画風に幅が生じることに気づき、明快な秩序をもつ三つの画体を創案した。会場には、正信も元信も敬愛した南宋の馬遠(ばえん)や夏珪(かけい)、また明代の作品も出展されている。

 ■やまと絵の領域にも進出。和漢を兼ねる。
 狩野派は漢画系の流派であるが、元信は当時、土佐派が中心を担っていたやまと絵の分野にも進出する。この妙案も狩野派の隆盛をもたらした。上述した狩野永納の『本朝画伝』に「狩野家は是れ漢にして和を兼る者なり」と記述があるが、和漢両方の画題や色彩法や絵の形式を使うことで、狩野派は金碧障壁画も絵巻や扇絵も手がけ、新境地を獲得した。

 サントリー美術館所蔵の重要文化財《酒伝童子絵巻》(画:狩野元信、詞書:近衛尚通(巻一)・定法寺公助(巻二)・青蓮院尊鎮(巻三)、紙本著色 三巻、室町時代 1522年<大永2年>)は、漢画的な明快な構図や線描と、やまと絵的な金泥・緑青・群青などの濃彩やすやり霞の表現が効果的に融合する。華麗で、かつおかしみをも伴う世界だ。小田原北条氏の第二代氏綱からの注文により、元信が40代半ばから50代前半の10年をかけて制作したものである。また、元信筆になる重要文化財《釈迦堂縁起絵巻》(紙本著色 六巻のうち巻三、室町時代 16世紀、京都・清凉寺)は緊密な画面構成、巧みな描写、美しい色彩が一つになり、絵巻に入り込んで観ているような気分になる。

 様々な画題や技法による扇絵も多数紹介されている。扇絵は贈答品として好まれ、町衆からの依頼も多く、狩野派の工房を支えた。会場の吹き抜け空間には、参考として、白鶴美術館所蔵の元信筆《四季花鳥図屏風》の原寸大複製画が展示されている。水墨屏風とは全く別趣の煌びやかな世界である。また、絵仏師の専門領域であった仏画や、肖像画、絵馬なども出品。元信の画業のなんという幅の広さであろう。

 ■盤石な狩野派の出発点
 狩野派は日本の絵師にとって正統な主流画派として尊ばれ、長期にわたって盤石であった。その礎を築いた元信という人は、知れば知るほど興味がわいてくる。
 意義深く、見どころの多い本展です。是非ご覧になってください。


【参考文献】
1) 『六本木開館10周年記念展 天下を治めた絵師 狩野元信』(展覧会図録)、サントリー美術館=発行、2017年。

執筆:細川 いづみ (HOSOKAWA Fonte Idumi) 
(2017年10月)


※会場内の風景画像は主催者側の許可を得て撮影したものです。


写真1 会場入り口。
(撮影:I.HOSOKAWA)


写真2 会場風景。
手前は、「草体」の、伝狩野元信、《草山水図襖》、
紙本墨画 八面、室町時代 16世紀、京都・真珠庵。
(※本作品は全期間展示。ただしこの四面は10/9までの展示)。
奥は、「真体」の、伝狩野元信、《養蚕機織図屏風》、六曲一双、室町時代 16世紀、根津美術館
(※本作品は9/25までの展示)。
(撮影:I.HOSOKAWA)


写真3 会場風景。
右は、「行体」の、「元信」印、《四季花鳥図屏風》、
六曲一双、室町時代 1557年〈弘治13年〉頃、一般財団法人 太陽コレクション
(※本作品は10/9までの展示)。
(撮影:I.HOSOKAWA)


写真4 重要文化財《酒伝童子絵巻》、
画:狩野元信/詞書:近衛尚通・定法寺公助・青蓮院尊鎮、紙本著色、三巻のうち巻三(部分)、
室町時代 1522年<大永2年>、サントリー美術館。
(※本作品は全期間展示。ただし展示替あり)

【展覧会名】
六本木開館10周年記念展 天下を治めた絵師 狩野元信
Celebrating a Decade in Roppongi
KANO MOTONOBU
All Under Heaven Bowed to his Brush
【会期・会場】
2017年9月16日~11月5日 サントリー美術館
電話:03-3479-8600 
[展覧会詳細] http://suntory.jp/SMA/

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