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ブダペスト国立西洋美術館&ハンガリー・ナショナル・ギャラリー所蔵
ブダペスト――ヨーロッパとハンガリーの美術400年

2020年1月28日

ブダペストにある二つの美術館が所蔵する名作130点が来日。
ハンガリーの近代絵画の代表作もそろう。東京・六本木の国立新美術館にて3月16日まで。

 オーストリアのウィーンからドナウ川を下るか鉄道で東に向かうと、じきにハンガリー国内に入る。中欧のハンガリーは、西をオーストリア、北をスロヴァキアとウクライナ、東をルーマニア、そして南をセルビアとクロアチアなどに囲まれた、平野に広がる内陸国だ。首都ブダペストはハンガリーのほぼ中央に位置し、市内をドナウ川が流れる。ブダペストは、その美しさから「ドナウの真珠」と呼ばれる。

 日本とハンガリーが修好通商航海条約に調印したのは、1869年(明治2年)(当時はオーストリア=ハンガリー二重帝国)。両国の外交関係開設150周年を記念して、ブダペストにある二つの美術館が所蔵する作品により、ヨーロッパとハンガリーの約400年にわたる美術を紹介する展覧会が開催中だ。なお二つの美術館とは、1906年開館のブダペスト国立西洋美術館と1957年開設のハンガリー・ナショナル・ギャラリー。両館は2012年以降、組織を統合。約24万点のコレクションの母体はエステルハージ家などハンガリー貴族に由来する。

 ■展覧会構成
 本展の全体の構成は、大きく二つの部からなり、以下のように細部に分かれる。
 Ⅰ ルネサンスから18世紀まで  1.ドイツとネーデルラントの絵画/2.イタリア絵画(聖母子、聖書の主題、ヴェネツィア共和国の絵画)/3.黄金時代のオランダ絵画/4.スペイン絵画――黄金時代からゴヤまで/5.ネーデルラントとイタリアの静物画/6.17-18世紀のヨーロッパの都市と風景/7.17-18世紀のハンガリー王国の絵画芸術/8.彫刻
 Ⅱ 19世紀・20世紀初頭  1.ビーダーマイアー/2.レアリスム――風俗画と肖像画/3.戸外制作の絵画/4.自然主義/5.世紀末――神話、寓意、象徴主義/6.ポスト印象派/7.20世紀初頭の美術――表現主義、構成主義、アール・デコ

 会場をめぐると、そのコレクションの豊潤さに驚かされる。ルカス・クラーナハ(父)(1472~1553年)による風刺のきいた《不釣り合いなカップル 老人と若い女》(1522年)や、エル・グレコ(本名ドメニコス・テオトコプーロス)(1541~1614年)の描いた深い境地の《聖小ヤコブ(男性の頭部の習作)》(1600年頃)(両作品とも、ブダペスト国立西洋美術館所蔵)のオールドマスターの傑作など、16世紀ルネサンスから20世紀初頭のアヴァンギャルドまでの作品が、変化をもって展開し、息をつかせない。

 本展では、西洋とハンガリーの名作が入り混じるかたちで美術の流れをたどる。この記事では、第Ⅱ部から特にハンガリーの近代美術に絞って、いくつかの作品を紹介したい。独特の魅力を放っている。

 ■ハンガリーのこと/人名の呼び方、高名な音楽家も輩出
 ところでハンガリーというと、筆者が親しみを覚えるのが、人名の呼び方だ。ハンガリーでは日本語と同様に、人名は基本的に、姓、名の順序である。たとえばハンガリー生まれの19世紀ロマン派を代表する作曲家でピアニストのリスト(1811~86年)は、国際的にはフランツ・リストと呼ばれるが、ハンガリー語ではリスト・フェレンツだ。ハンガリーは音楽が盛んな国として有名である。リストのほかにも、作曲家で民俗音楽研究家でもあるバルトーク・ベーラ(1881~1945年)やコダーイ・ゾルターン(1882~1967年)ら名高い音楽家を輩出している。また本展には出展はないが、20世紀の美術家には、バウハウスで教鞭をとったモホリ=ナギ(ハンガリー語ではモホイ=ナジ・ラースロー)(1895~1946年)や、オプ・アートの先駆者ヴァザルリ(1908~97年)がいる。

 ■ハンガリー近代絵画を切り拓いたシニェイ・メルシェ:《紫のドレスの婦人》など
 「この絵の複製が私の祖母の部屋に飾ってありました。これは国中でとても愛されている名画で、『ハンガリーの《モナ・リザ》』と呼ばれています」。本展の内覧会でパラノビチ・ノルバート駐日ハンガリー大使館特命全権大使は、こう話された。シニェイ・メルシェ・パール(1845~1920年)が描いた《紫のドレスの婦人》(1874年、ブダペスト、ハンガリー・ナショナル・ギャラリー所蔵)のことである(★以下、所蔵がハンガリー・ナショナル・ギャラリーの作品は、所蔵先の記載を略す)。鮮やかな紫の流行のドレスに身を包んだ若い女性が、青空のもと、黄色の花が咲き乱れる緑の野原で腰をかけている。草花を手にし、長い髪にはドレスとお揃いの紫の髪飾り。すぐ近くに黄色のリボンを巻いた大きな白い帽子が置かれる。女性の可憐さと芯の強さも同時に表現されている。画面全体に降り注ぐ陽光が感じられる。

 シニェイ・メルシェが若妻をモデルに描いた本作は、パリで第1回印象派展が開催された年の制作だ。ハンガリーの美術の歴史はヨーロッパとあまり変わらないが、そのなかでシニェイ・メルシェは、伝統的な絵画を打ち破ったハンガリーの近代美術の先駆者とされる。彼はミュンヘンで学び、1908年までパリを訪れたことはなかったが、ハンガリーで独自に、パリの印象派の画家たちが行ったことを実践した。つまり、移ろう光の表現のために絵具を混ぜずに純粋な色彩や補色による色彩効果を追求し、また神話や歴史画ではなく19世紀の同時代の近代生活や風景を主題とする、など。《紫のドレスの婦人》では、紫、黄、緑の純粋な色彩を併置。しかし彼の作品はその斬新さゆえ、美術批評家からすぐに理解を得られず、評価されたのは19世紀末になってからだった。本作は、特に一般大衆に絶大な人気を博し、今日に至るまでポスターや切手などに多用されている。

 シニェイ・メルシェが描いた作品は、神話に登場する人物ではない裸婦を描いた《ヒバリ》(1882年)や独創的な画題である《気球》(1878年)も出品されている。

 ■国際的名声を得たムンカーチ:《フランツ・リストの肖像》《ほこりっぽい道Ⅱ》など
 シニェイ・メルシェと同世代で、早くに成功し国際的な名声を得たハンガリーの巨匠がいる。ムンカーチ・ミーハイ(1844~1900年)である。《フランツ・リストの肖像》(1886年)は、ハンガリー出身のピアニストで音楽家リスト最晩年の74歳の肖像画だ。ピアノの鍵盤に左手を置き、静かにこちらを見つめるリスト。42歳のムンカーチは、パリのムンカーチ邸を訪れた老音楽家の威厳と豊かな人生の達成をも生き生きと描写した。この4カ月後にリストは世を去った。リストは1882年、展覧会のため故国に帰国したムンカーチと親交を結び、彼のために「ハンガリー狂詩曲第16番」を作曲している。30歳以上年の離れた二人が敬意をもって交流し、互いに創作を行ったことを知り、心が温まる思いがした。

 ムンカーチはブダペスト、ウィーン、ミュンヘンで修業後、ギュスターヴ・クールベ(1819~77年)から影響を受けたレアリスムの傑作《死刑囚の独房》(1870年)(★本展に出品無し)によってパリのサロンでメダルを受賞した。召使いの少女や村人を描いた《泉のそばの少女》や《「村の英雄」のための習作(テーブルに寄りかかる二人の若者)》(ともに1874年)はその系譜にある。彼は1874年に男爵の未亡人と結婚し、その後パリの豪奢な邸宅で上流社会の人々との社交生活を送った。ブルジョアの華やかな生活を細部まで描写した《パリの室内(本を読む女性)》(1877年)のような大衆好みのサロン絵画も数多く制作。どの作品にも共通するのは卓抜の筆遣いである。そのなかで風景画の《ほこりっぽい道Ⅱ》(1874年以降)は異彩を放つ。自然の大気現象を描き、格別の境地にある。

 ■「ハンガリーのナビ」リップル=ローナイの作品
 縦長の画面に、白い水玉模様の洒落たドレスの女性が立っている。等身大の女性の身振りのなんと軽快で優雅なことか。これはリップル=ローナイ・ヨージェフ(1861~1927年)が描いた《白い水玉のドレスの女性》(1889年)である。色数を抑え、本質のみを捉える。同じ画家による《赤ワインを飲む私の父とピアチェク伯父さん》(1907年)は、強烈な赤や黄などの色彩が太い輪郭内に塗り分けられ、平坦な画面を構成する。男たちの表情がいい。

 リップル=ローナイはミュンヘンで修業後、1887年からパリに滞在してムンカーチの助手となった。その後ナビ派のグループに迎えられ、「ハンガリーのナビ」と呼ばれた。1901年以降は主に故国で活動。ナビ派とは、19世紀末にポール・ゴーガン(1848~1903年)に学び新しい芸術を目指したピエール・ボナール(1867~1947年)らパリの若い芸術家の集団だ。その特徴は反写実、象徴主義、装飾性である。《白い水玉のドレスの女性》は、リップル=ローナイが初期からナビ派へ移行する時期のもの。後者はナビ派らしい作品だ。

 ■チョントヴァーリ:不思議な《アテネの新月の夜、馬車での散策》
 会場を巡っていて、《アテネの新月の夜、馬車での散策》(1904年)の前でなんとも不思議な衝撃を受けた。画家はチョントヴァーリ・コストカ・ティヴァダル(1853~1919年)。もと薬剤師だった。画面上部の夜空は月をはさんで青色からピンク色に美しく変容する。大きな建物と前を馬車で行く人たちの中央部分だけ光が当たり、ほかは両側の糸杉を含めて影になっている。上方にアテネの神殿が見える。きわめて素朴な描写なのだが、リズミカルであり、画面の外に限りなく続く物語や壮大な世界を感じさせる。本展のカタログによると、チョントヴァーリは巨大な風景画も描いているという。ほかの作品も見てみたくなった。

 ■ハンガリーの歴史
 最後にハンガリーの歴史をおおまかにたどっておこう。ハンガリーは、マジャル人が9世紀にロシアのウラル山脈の中・南部から移動し、現在の場所に定住したとされる。1000年頃、ハンガリー王国が成立し、中世に版図を広げた。15世紀後半にマーチャーシュ王がルネサンスの花を咲かせたが、16世紀にはハプスブルク家によるハンガリー王位の継承やオスマン帝国の進出によって版図は三分割された。18世紀には全土がハプスブルグ帝国の支配下に入る。1867年にオーストリア=ハンガリー二重帝国となるが、第一次世界大戦で敗戦の結果、オーストリアと分離。第二次世界大戦後、1948~89年は社会主義体制をとる。2004年にEUに加盟した。
 
 本展をめぐると、ハンガリーという国が私たちに近づいてきてくれるようだ。あちこちに驚きがある。森を歩くように本展を楽しんでほしい。


【参考文献】
1) 編集=国立新美術館 宮島綾子/中江花菜、ブダペスト国立西洋美術館&ハンガリー・ナ
ショナル・ギャラリー パブレーニ・アーグネシュ/ベーニ・アンドレア、日本経済新聞社文化事業部:『日本・ハンガリー外交関係開設150周年記念 ブダペスト国立西洋美術館&ハンガリー・ナショナル・ギャラリー所蔵 ブダペスト――ヨーロッパとハンガリーの美術400年(展覧会カタログ)』、発行=日本経済新聞社、2019年。

執筆:細川 いづみ (HOSOKAWA Fonte Idumi) 
(2020年1月)

※会場内の風景画像は主催者側の許可を得て撮影したものです。


写真1 会場風景。
シニェイ・メルシェ・パール《紫のドレスの婦人》、1874年、
ブダペスト、ハンガリー・ナショナル・ギャラリー。
(撮影:I.HOSOKAWA)

写真2 会場風景。
右は、ムンカーチ・ミハーイ《フランツ・リストの肖像》、1886年、
ブダペスト、ハンガリー・ナショナル・ギャラリー。
左奥は、ロツ・カーロイ《春――リッピヒ・イロナの肖像》、1894年、
ブダペスト、ハンガリー・ナショナル・ギャラリー。
(撮影:I.HOSOKAWA)

写真3 会場風景。
左は、ムンカーチ・ミハーイ《ほこりっぽい道Ⅱ》、1874年以降、
ブダペスト、ハンガリー・ナショナル・ギャラリー。
右奥は、クロード・モネ《トゥルーヴィルの防波堤、干潮》、
1870年、ブダペスト国立西洋美術館。
(撮影:I.HOSOKAWA)

写真4 会場風景。
右は、リップル=ローナイ・ヨージェフ《白い水玉のドレスの女性》、1889年、
ブダペスト、ハンガリー・ナショナル・ギャラリー。
左は、レオ・プッツ《牧歌》、1890年頃、
ブダペスト国立西洋美術館。(撮影:I.HOSOKAWA)

写真5 会場風景。
リップル=ローナイ・ヨージェフ《赤ワインを飲む私の父とピアチェク伯父さん》、1907年、
ブダペスト、ハンガリー・ナショナル・ギャラリー。
(撮影:I.HOSOKAWA)

写真6 会場風景。
左は、チョントヴァーリ・コストカ・ティヴァダル《アテネの新月の夜、馬車での散策》、1904年、
ブダペスト、ハンガリー・ナショナル・ギャラリー。右は、グラーチ・ラヨシュ《魔法》、1906~07年、
ブダペスト、ハンガリー・ナショナル・ギャラリー。
(撮影:I.HOSOKAWA)
 

【展覧会名】
日本・ハンガリー外交関係開設150周年記念 
ブダペスト国立西洋美術館&ハンガリー・ナショナル・ギャラリー所蔵 
ブダペスト――ヨーロッパとハンガリーの美術400年
Treasures from Budapest: European and Hungarian Masterpieces
from the Museum of Fine Arts, Budapest and the Hungarian National Gallery

Japan-Hungary Friendship 150 th Anniversary

【会期・会場】
開催中~2020年3月16日 国立新美術館 企画展示室1E
電話:03-5777-8600 (ハローダイヤル) 
[展覧会詳細] https://budapest.exhn.jp

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