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国立西洋美術館開館60周年記念
松方コレクション展   

2019年9月13日

モネ、ルノワール、ゴッホ、ロダン…。
実業家・松方幸次郎が収集した西洋美術の名作の数々。
その100年の流転の運命を知る。

 東京・上野の国立西洋美術館は1959年6月10日に開館し、本年が60周年。人間でいうと還暦だ。松方コレクションを中心とする所蔵作品の質の高さは広く知られ、20世紀を代表する建築家ル・コルビュジエ(1887~1965年)の設計によるその建築は2016年に世界遺産に指定された。通常、所蔵品は常設展で展示されている。名建築での名品揃いの常設展を好む方も多いのではないだろうか。9月23日まで国立西洋美術館で開催中の企画展である本展は、初めての方にも常設展を見慣れている方にも、楽しめる優れた内容だ。

 ■「ヨーロッパの油画の本物を集めて、日本に送って見せてやろう」
 国立西洋美術館の所蔵品の核は、神戸の川崎造船所(現・川崎重工業株式会社)を率いた松方幸次郎(まつかたこうじろう)(1866~1950年)が、渡欧中に収集してパリに残されていた西洋美術375点である。これらは、第二次世界大戦末期にフランス政府によって接収され、大戦後の1959年に一部を除いて日本に寄贈返却された。この時のフランス側の返却条件が、この松方のコレクションを保管し、展示するための美術館の設立だった。

 松方には、日本の多くの画家や人々のために美術館をつくりたい、との思いがあった。それは、国家的な大きな視野に立つものだった。当時、松方と共に画廊巡りをした若い美術史家の矢代幸雄(1890~1975年)が、著書『藝術のパトロン』(1958年)で、松方の次の言葉を紹介している。「日本に何千人の油画描きがいながら、その人たちはみんな本物のお手本を見ることもできずに、油画を一生懸命に描いて展覧会に出している。私はそれが気の毒なので、ひとつわしがヨーロッパの油画の本物を集めて、日本に送って見せてやろうと思っている」(※参考文献2の25頁)。そして松方は第一次世界大戦中の1916年からわずか10年ほどの間に、ロンドンやパリ、ベルリン、ミラノなどで西洋美術を約3000点収集。加えて約8000点の浮世絵をフランスから買い戻し、松方コレクションは総数1万点を超えた。しかし激動の時代のなかでその多くが散逸。焼失したものもあり、接収もされた。フランスから松方コレクションが寄贈返却され、国立西洋美術館が開館したのは、松方の没後から9年が経った年だった。

 松方コレクションを紹介する本展は、近年の新発見により深まった研究成果を踏まえ、海外の所蔵品も含めた約160作品、及び資料から、その形成と散逸の歴史をたどるものだ。

 ■展覧会構成
 本展は、プロローグ、8つの章、エピローグから構成されている。
プロローグ/Ⅰロンドン 1916-1918/Ⅱ第一次世界大戦と松方コレクション/Ⅲ海と船/Ⅳベネディットとロダン/Ⅴパリ1921-1922/Ⅵハンセン・コレクションの獲得/Ⅶ北方への旅/Ⅷ第二次世界大戦と松方コレクション/エピローグ

 ■ブラングィンによる《松方幸次郎の肖像》及び《共楽美術館構想俯瞰図、東京》
 国際的に活躍したイギリスの画家フランク・ブラングィン(1867~1956年)が描いた《松方幸次郎の肖像》(1916年、油彩・カンヴァス、国立西洋美術館)が、本展の最初の部屋に展示されている。打ち解けた様子の50歳頃の松方が、素早い筆致で描かれる。政府の要職にあった松方正義の三男として1866年に鹿児島に生まれた松方幸次郎は、アメリカ留学を経て30歳で神戸の川崎造船所社長となり、成功を遂げた。造船は通常は注文が来てから行うが、松方は第一次世界大戦による船舶需要の拡大を見越して、予めつくっておく「ストックボート」の大量生産を行った。彼は大戦中の1916年から2年間渡欧し、ロンドンを拠点に自社のストックボートの売り込みなどを行うと同時に、美術品の収集を開始した。この肖像画はその頃に制作された。

 ブラングィンは海や船、造船所などを主題とする絵画を得意とし、本展にも出品。松方とブラングィンは「船」という共通の興味でも固いつながりをもったようだ。矢代幸雄が、二人は「仲良さそうであった」と、上述書で記す。松方はブラングィン作品を多数所蔵したが、大部分は1939年のロンドンの倉庫火災により焼失してしまった。なお、このときに焼失した全作品のリストが近年発見された。

 松方は、美術館を設立したいとの構想をもっていた。彼は美術館のデザインをブラングィンに依頼していた。《共楽美術館構想俯瞰図、東京》(水彩・鉛筆、紙、国立西洋美術館)は、その図面の一枚だ。手前に噴水のある中庭を囲む本館が、奥に別館が見える。建設予定地は東京の麻布の松方家の所有地だった。設計図は1919年に日本に送られ、松方家の人々と油彩画家の黒田清輝(1866~1924年)らがこの美術館構想について話し合いをもったという。幻となった構想だが、ここまで具体的だったことに驚かされた。

 会場を進むと、松方がロンドンを拠点とする滞欧中に収集した絵画を上下2段・3段で展示する大空間に入る。イタリア・ルネサンス期の作品から、ラファエル前派、スイスのジョヴァンニ・セガンティーニ(1858~99年)の大作など。壮観である。

 ■ロダン芸術の集大成《地獄の門》:松方がブロンズ鋳造を初めて注文
 本展で、近代彫刻の巨匠オーギュスト・ロダン(1840~1917年)の彫刻作品が多数出品されている。松方は1918年、ロダン美術館館長を務めるレオンス・ベネディット(1859~1925年)を通してロダン美術館と契約を結び、ロダン彫刻を精力的に収集した。ベネディットは、松方の絵画収集にも協力。そして約400点の松方コレクションの絵画や彫刻作品群は、第二次世界大戦までロダン美術館の旧礼拝堂に保管された。

 国立西洋美術館の前庭の、向かって右側に設置されているロダン作《地獄の門》(1880~90年頃/1917年〈原型〉、1930~33年〈鋳造〉、ブロンズ、国立西洋美術館)も、本展の出品作品だ。高さ5m40㎝、幅4m近くの巨大サイズである。矩形内に苦悩する数多の人々を渦巻くように表現。ダンテの「神曲」を主題とするロダン芸術の集大成であり、本作から、やはり国立西洋美術館の前庭に設置されている《考える人》(1881~82年、ブロンズ、国立西洋美術館、※本作は拡大作である)などの単独像が生まれた。《地獄の門》は、建設が予定されていたフランスの装飾美術館の門の浮き彫として、1880年に制作が開始された。ブロンズ鋳造はロダンの生前には実現せず、1920年に松方が注文を出したことで初めて実現。しかし最初のブロンズは別の発注者の元に渡り、松方が入手したのは再鋳造のものだった。

 ■モネの《睡蓮》:モネから直接購入
 松方は1921年から22年、今度はパリを拠点にヨーロッパに滞在して作品収集を行った。重要作品が多く含まれる。印象派の巨匠クロード・モネ(1840~1926年)による《睡蓮》(1916年、油彩・カンヴァス、国立西洋美術館)は、松方が1921年にジヴェルニーにあるモネのアトリエを少なくとも二度訪れてモネから直接購入した十数点の作品の一つである。約2mの正方形に近い画面。池に浮かぶ睡蓮と水面に映る情景が混然一体となって描かれる。一見すると平面的だが、垂直の線が多数描かれ、次第に重層する姿が見えてきて、光や影が感じられ、絵の中に引き込まれる。これは現在、パリのオランジュリー美術館の二つの楕円形の部屋に展示されているモネ畢生の大装飾画の、関連作品に当たる。モネは、この大装飾画に関わる作品はいっさい手放さなかったのだが、本作は例外だった。松方のモネのアトリエへ訪問に、油彩画家の和田英作(1874~1959年)と共に同行した矢代幸雄は、80代の老モネと、松方との間の「親しみのある態度」を感じとったことを記している。

 ■モネの大作《睡蓮、柳の反映》:60年ぶりの発見。修復して公開
 松方は1921年、大装飾画に関連するもう一つの重要な作品を、モネから直接購入していた。縦約2m、横4m超の大作の《睡蓮、柳の反映》(1916年、油彩・カンヴァス、国立西洋美術館)である。この作品は長らく行方不明だったが、2016年にフランスのルーヴル美術館で60年ぶりに発見された。翌年にフランス政府から松方家に返還され、そして松方家より国立西洋美術館に寄贈された。しかし本作は発見時、劣化が激しく、カンヴァスの上部が欠失した無残な状態だった。これは他の松方コレクションと一緒にパリのロダン美術館旧礼拝堂に保管されていたが、第二次世界大戦が始まりドイツ軍の侵攻が迫るなか、保管を任されていた日置釭三郎が、郊外の村アボンダンの自宅に絵画群を疎開させた。本作の損傷は、その際に水や湿気によるものと推測されている。1944年、日置は松方コレクションを再びパリへ戻したが、終戦後にそれらは敵国人財産としてフランス政府に接収された。

 《睡蓮、柳の反映》が2016年に再発見されたことに重ねて、2017年7月にも驚くべきことが起こった。ロダン美術館に保管されていた松方コレクションの内348点を撮影した白黒のガラス乾板365枚が見つかったのだ。そこに《睡蓮、柳の反映》の作品全体を写したガラス乾板も含まれた。本展では、現存部分を修復した《睡蓮、柳の反映》が出品されている。なお、ガラス乾板をもとに作品全体を推定復元という方法によってデジタル復元したものも、会場入り口の前に展示。会場内でガラス乾板十数点も見られる。よくぞ撮影しておいてくれた、と思う。そして一連の発見。胸が熱くなる。

 ■ゴッホの傑作《アルルの寝室》:フランスから日本に返却されず
 フィンセント・ファン・ゴッホ(1853~90年)の傑作である《アルルの寝室》(1889年、油彩・カンヴァス、オルセー美術館)も出品されている。これは松方コレクションの白眉だったが、フランス政府に接収されたまま留め置かれ、現在はパリのオルセー美術館の所蔵である。本作は、ゴッホがアルル時代に住んだ「黄色い家」の寝室を描いたものだ。人物画などが架かる水色の壁や青色の扉に囲まれた部屋に、木製のがっしりしたベッドや机や椅子が置かれている。机の上には洗面器もある。明るく豊かな色彩の本作の前に立つと、力強い一筆一筆から画家の息づかいや意志が伝わってくる。本作は、ほぼ同じ3ヴァージョンのうちの最後のもの。ポール・ゴーガン(1848~1903年)との関係が破綻し、ゴッホがサン・レミの精神療養院への入院後、母のために描いた作品だった。

 松方は本作をパリのローザンベール画廊で入手したようだ。同行した矢代幸雄はこの稀代の傑作を見て興奮し、松方に入手するよう執拗にせがんだため、松方はうるさがる様子を見せた。しかし松方は後から買っておいてくれた。矢代は、こんな内容の記述を残している(参考文献2の41~44頁)。

 ■ルノワールの《アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)》:交渉により日本に返還
 松方はローザンベール画廊で、ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841~1919年)の初期の代表作の一つである《アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)》(1872年、油彩・カンヴァス、国立西洋美術館)も購入した。本作は、フランスが接収後も留め置くことを主張したが、粘り強い交渉の結果、日本に返還された。

 縦1m56㎝、横約1m28㎝の大画面に、赤系の色の織物に座る薄い衣をまとった金髪の女性を中心とする3人の女性を斜めに配し、異国のハーレム(後宮)の情景を描く。しかし、モデルはパリジェンヌである。中央の女性はルノワールの恋人だった。この作品を制作した2年後にルノワールは印象派の仲間たちと活動を開始。そして彼が実際にアルジェリアを訪れたのは、その数年先のことだった。

 なお、松方の1921年からの滞欧については、ドイツの潜水艦の建造技術導入のための設計図入手という使命を密かに帯びていたといわれる。松方はその夏、ドイツやスイスを訪れ、フランス近代絵画のほかにエドヴァルド・ムンク(1863~1944年)などの作品を購入し、日本へ送っている。

 ■松方コレクションのゆくえ
 松方コレクションはその後、流転の運命をたどる。1927年、川崎造船所は昭和金融恐慌のあおりを受けて経営が破綻し、翌年に松方は社長を辞任。日本に送られ保管されていた松方コレクションは売り立てが始まり、散逸した。また1939年にはロンドンに保管していた収集作品が倉庫火災で灰燼に帰してしまった。

 最後に、松方コレクションの全体像を振り返ってみよう。松方が収集した美術品は、1910年代半ばから20年代半ばに購入され、1万点を超えるものだった。①ロンドンに預けていた約900点は、1939年の倉庫火災でほとんどが焼失。②パリで保管されていた約400点は、フランス政府に接収された。その内375点が日本に寄贈返還されて国立西洋美術館の所蔵となったが、20点はフランス政府が返還を拒否し、フランスに留め置かれた。少数だが、売却された作品もあった。③日本に送られていた西洋美術約1000点は、国内外に散逸。約8000点の浮世絵版画は、当時の帝室博物館(現在の東京国立博物館)の所蔵となった。

 会場で目前にする作品は一つ一つが波乱の生涯を送り、今ここに存在しているのだ。

 また、東京国立博物館の本館では、本展と連動して9月23日まで松方コレクションの浮世絵版画を展示中だ。こちらも逸品ぞろいである。


【参考文献】
1)陣岡めぐみ=責任編集・執筆、国立西洋美術館[袴田紘代、川口雅子]・読売新聞社東京本社文化事業部=編集:『国立西洋美術館開館60周年記念 松方コレクション展』(展覧会カタログ)、国立西洋美術館・読売新聞社東京本社・NHK・NHKプロモーション=発行、2019年
2) 矢代幸雄:『藝術のパトロン ― 松方幸次郎、原三溪、大原二代、福島コレクション』(中公文庫900)、中央公論新社、2019年 (※底本は、矢代幸雄:『藝術のパトロン』、新潮社、1958年)

執筆:細川 いづみ (HOSOKAWA Fonte Idumi) 
(2019年9月)

※会場内の風景画像は主催者側の許可を得て撮影したものです。

写真1 国立西洋美術館の会場風景(以下、同様)。
フィンセント・ファン・ゴッホ《アルルの寝室》、1889年、油彩・カンヴァス、オルセー美術館。
(撮影:I.HOSOKAWA)

写真2 会場風景。
左から、フランク・ブラングィン《松方幸次郎の肖像》、1916年、油彩・カンヴァス、国立西洋美術館。
フランク・ブラングィン《共楽美術館構想俯瞰図、東京》、水彩・鉛筆、紙、国立西洋美術館。
(撮影:I.HOSOKAWA)

写真3 オーギュスト・ロダン《地獄の門》、
1880~90年頃/1917年(原型)、1930~33年(鋳造)、
ブロンズ、国立西洋美術館。(撮影:I.HOSOKAWA)

写真4 会場風景。
左から、ハイム・スーティン《ページ・ボーイ》、1925年、油彩・カンヴァス、
パリ国立近代美術館・ポンピドゥーセンター。
ピエール=オーギュスト・ルノワール《アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)》、
1872年、油彩・カンヴァス、国立西洋美術館。
(撮影:I.HOSOKAWA)

写真5 展覧会開催中の国立西洋美術館の外観。
(撮影:I.HOSOKAWA)
 

【展覧会名】
国立西洋美術館開館60周年 松方コレクション展
THE MATSUKATA COLLECTION: A One-Hundred-Year Odyssey
【会期・会場】
2019年6月11日~9月23日 国立西洋美術館 (東京、上野公園)
電話:03-5777-8600(ハローダイヤル) 
[展覧会詳細] https://artexhibition.jp/matsukata2019/

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