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山種美術館 広尾開館10周年記念特別展
生誕125年記念 速水御舟

2019年6月27日

日本画の新たな表現に挑み続けた速水御舟(はやみ ぎょしゅう)。
重要文化財《炎舞》をはじめ、山種美術館所蔵の全120点を公開。

 明治後期から昭和初期の時代を生きた速水御舟(1894~1935年)は、40年の短い生涯で、新しい日本画を生み出そうと次々と挑戦を行った。日本画の名品を多数所蔵することで知られる山種美術館は御舟の作品を120点所蔵し、御舟美術館ともいわれる。現在、前期・後期で館所蔵の御舟の全作品を出品し、彼の画業の変遷を辿る展覧会が同館で開催中だ。

 ■幻想的な《炎舞》:「二度と出せない色」
 展覧会会場の奥の部屋を覗いて、「あっ」と声を上げそうになった。暗黒の闇のなか、鮮やかな光を放ってめらめら燃える炎と、その上を様々な蛾が舞う情景が浮かぶ。動いているのか。速水御舟が描いた重要文化財《炎舞》(1925〈大正14〉年、絹本・彩色、山種美術館)(※出品作品は全て、速水御舟筆、山種美術館所蔵。以下、略)である。近づいてみると、炎の描写から炎の色彩と形の美、その魔力も迫ってくる。中世の不動明王図の火焔光背が頭をよぎった。しかし本作は少し違う。闇と炎の間や、炎の先から天に向かい、薄い色彩によって炎の動きも描写される。炎の上空には白や黄色や青色などの蛾たちが集い舞う。全て正面向きなのはデザイン的だが、それぞれが写実的だ。目を凝らすと、翅の後ろが微妙にぼかされている。翅を細かく震わせているようだ。蛾たちはこの先どうなるのか。そして背景を覆う闇。その色彩が独特だ。どこまでも深い闇を感じさせる。

 この幻想的な《炎舞》は御舟の最高傑作とされる。31歳の年、家族と共に3ヶ月ほど軽井沢に滞在した際に制作。毎晩、焚火をして集まる蛾を観察し写生したという。御舟は本作で、仏画や絵巻などの日本の古典の絵画の様式美と、自然観察を見事に融合させた。背景は「もう一度描けといわれても、二度と出せない色」との彼の言葉が残る。

 ■展覧会の構成
 本展覧会の構成は以下である。第1章 画塾からの出発/第2章 古典への挑戦/第3章 10ヶ月にわたる渡欧と人物画への試み/第4章 更なる高みを目指して。
 第1章と第2章を中心に紹介しよう。

 ■安雅堂画塾からの出発/伝説を描いた《錦木》
 1894年、東京の浅草の質屋の家に生まれた御舟は、14歳の年に歴史画に長じた松本楓湖(1840~1923年)が主宰する安雅堂に入塾した。自宅近くにあったこの画塾で、御舟は粉本を模写するなかで中国と日本の古典絵画を学び、研鑽を積む。自由な気風をもつ画塾で、御舟は同門の人々と近郊での写生にも励んだようだ。御舟19歳の作品である《錦木》(1913〈大正2〉年、絹本・彩色)はおおらかで清々しい印象だ。師にならって伝説を主題とした。胡粉で白い衣を巧みに表現し、傘と髪の毛は同じ墨色だが顔料に手を加え質感を変える工夫を行う。琳派の手法であるたらしこみも使用。本作は原三渓の旧蔵品である。

 ■今村紫紅との出会い/南画風を発展させた《山科秋》
 安雅堂での先輩に今村紫紅(1880~1916年)がいた。日本画がこんなに固まってしまっては仕方がない、僕は壊すから君達が建設してくれ、との意味の紫紅の言葉はよく知られる。その大胆な構図と生気あふれる作品は日本画壇に大きな刺激を与えた。御舟は紫紅の志に共鳴し、彼から大きな影響を受けた。御舟は紫紅ら若手の研究会である紅児会や、のちに紫紅が中心となって結成した赤曜会で活動し、画の腕を磨いた。1917年、23歳の御舟は京都の風景を描いた《洛外六題》(六図とも焼失)で絶賛を浴び、日本美術院同人に推挙される。《山科秋》(1917〈大正6〉、絹本・彩色)は、紫紅から影響を受けた南画的な画風を発展させた作品である。軽快で自由な筆致だ。本作には美しい群青色と黄土色が配されているが、この頃、御舟は特に群青に魅せられ、作品に多用した。

 ■徹底した写実表現、質感描写へ
 1920年、御舟は《京の舞妓》を発表し、画壇に衝撃を与えた。この作品は東京国立博物館所蔵作品で本展には出品されていないが、舞妓の顔、髪、絞りの着物、壺や花、そして畳の目まで、驚くべき徹底した細密描写が行い、質感の違いを描き分けている。油彩画家の岸田劉生(1891~1929年)からの影響が指摘されている。それまでの日本画にはない極端さゆえ、特に横山大観(1868~1958年)から厳しく批判された。御舟はその後、静物画でも、油彩画で可能な質感の表現を日本画で試行してゆく。

 ■中国宋の花鳥画を意識/気高い境地の《桃花》
 《桃花》(1923〈大正12〉年、紙本金地・彩色)は、御舟が前年に誕生した長女の初節句のために描いた。そう知ると温かい気持ちになる。色紙大の小さな作品だが、気高い境地にある。正方形の金地背景に桃の枝が配され、蕾や開きかけた花、芽や枝を写実的に描写。左端に入れた御舟のサインである落款の細い書体は、詩書画に優れた中国の北宋時代の徽宗皇帝(在位:1100~1125年)が使用した痩金体にならったもの。御舟は質感の描写を追求するなかで、徽宗皇帝が得意とした写生的な院体花鳥画を意識したようだ。本作では金地を加え、新しい世界を創出した。

 ■琳派への傾倒/リズミカルな大作《翠苔緑芝》
 先述したように1923年、御舟は傑作《炎舞》を生み出した。しかし、そこにとどまらず、昭和に入って琳派の構成を取り入れた装飾的な作品を世に送り出した。《翠苔緑芝(すいたいりょくし)(1928〈昭和3〉年、紙本金地・彩色)は金地の四曲屛風の大作。緑色などの鮮やかな色彩の色面や樹木などによる大胆な構成が、不思議なリズム感を形成する。右隻の緑の土坡に座る黒猫が愛らしい。ここは絵の具を盛り上げている。琵琶の実には様々な色彩が施されている。左隻の紫陽花の青紫の花弁は、厚塗りでひび割れたような特殊な描法。白兎の姿は俵屋宗達作品を参照したとされる。本作は画家の自信作だった。

 ■琳派の構成と写実/あでやかな大作《名樹散椿》
 その翌年に描かれた二曲一双屛風の重要文化財《名樹散椿》(1929〈昭和4〉年、紙本金地・彩色)(★注意:7月7日までの展示)も琳派への傾倒を示し、さらにあでやかだ。金地画面に平坦に描かれた土坡から、椿の大樹が伸び、扇のように広がる。複雑に湾曲する幹や枝と、咲き誇る五色の花々に生命観があふれる。ひらひらと花弁が散っている。この椿は京都市の椿寺と呼ばれる混陽山地蔵院に実在した名高い樹。五種類の花が咲き、散るときに花首ごと散るのでなく、山茶花のように花びら一枚ずつ散る種類の椿である。御舟はこの名樹を写生し、本作に仕上げた。琳派の構成をとるが、花や幹や枝には写実的描写を取り入れた。金地は金砂子の撒きつぶしという手間のかかる方法で緻密な面に仕上げた。

 ■「御舟」の号の由来
 御舟は琳派についても修業時代から学び、《錦木》でもたらしこみを使用していた。「御舟」という号も琳派と関係がある。彼の本名は蒔田(まきた)栄一だが20歳頃、つまり2014年頃から、幼少時に養子縁組した母方の「速水」姓を名乗りはじめ、そして自ら「御舟」に改号した。「御舟」の号は、俵屋宗達(生没年不明)筆の国宝《源氏物語関屋・澪標図屛風》(17世紀(江戸時代)、静嘉堂文庫美術館)のうちの、《澪標図(みおつくしず)》の右上端に浮かぶ舟に由来する。舟を御するという意味なのだろうか。その舟には光源氏の恋人・明石の君が乗り、住吉神社に詣で浜辺の牛車のなかにいた光源氏に気づいて去る場面だ。宗達のこの作品は、1913〈大正2〉年4月の宗達追悼会にて東京で初公開された。

 ■さらなる高みへ
 その後も御舟のあくなき挑戦は続く。没年の前年に描いた《牡丹花(墨牡丹)》(1934〈昭和9〉、紙本・墨画彩色)では、花を墨で、葉を色彩で描き、反転を行った。荘重で心に染み入る作品である。ヨーロッパの街並みを描いた作品や多様な花や鳥の写生帖、また人物の作品も実に魅力的だ。

 山種美術館は御舟との関係についても記したい。美術館の創立者である山崎種二が御舟芸術を深く敬愛し、機会あるごとに作品蒐集を行ってきた。御舟が早く亡くなったため直接に交流することは叶わなかったが、しかし1976年に旧安宅産業コレクション105点の一括購入の話が種二にもたらされ、山種美術館は御舟作品120点を所蔵するに至った。また、山﨑妙子 現館長は御舟の研究者であり、浩瀚な『速水御舟の芸術』(1996年、日本経済新聞社)を著しておられる。

 速水御舟は「梯子(はしご)の頂上に上る勇気は貴い。更にそこから降りて来て、再び登り返す勇気を持つ者はさらに貴い」(「速水御舟語録」『美術評論』4巻3号、1935年4月)と語った。そのことを生涯にわたって実践したのが彼自身だった。筆者には「速水御舟」という美しい名に彼の画業が重なるように思えてならない。

 見どころの多い本展。是非足をお運び下さい。また、山種美術館1階の「Cafe 椿」では出品作品に因んだ特製和菓子も召し上がれます。ゆっくりとお楽しみ下さい。


【参考文献】
1) 山﨑妙子=執筆、山種美術館学芸部=編集:『山種美術館所蔵 速水御舟作品集』、山種美術館=発行、2019年。
2) 山下裕二=監修:『開館50周年記念特別展 速水御舟の全貌―日本画の破壊と創造―』、板倉聖哲・山下裕二=対談、山﨑妙子・髙橋美奈子・三戸信惠・塙萌衣=執筆、山種美術館=発行、2016年。
3) 古田亮:『日本画とは何だったのか 近代日本画史論』(角川選書)、KADOKAWA=発行、2018年。

執筆:細川 いづみ (HOSOKAWA Fonte Idumi) 
(2019年6月)


※会場内の風景画像は主催者側の許可を得て撮影したものです。

写真1 山種美術館の会場風景(以下、同様)。
速水御舟 重要文化財《炎舞》1925(大正14)年、絹本・彩色、山種美術館。
(撮影:I.HOSOKAWA)

写真2 会場風景。
速水御舟《錦木》1913(大正2)年、絹本・彩色、山種美術館。
(撮影:I.HOSOKAWA)

写真3 会場風景。
速水御舟《桃花》1923(大正12)年、紙本金地・彩色、山種美術館。
(撮影:I.HOSOKAWA)

写真4 会場風景。
速水御舟《翠苔緑芝》1928(昭和3)年、紙本金地・彩色、山種美術館。
(撮影:I.HOSOKAWA)

写真5 会場風景。
速水御舟《翠苔緑芝》の部分。
1928(昭和3)年、紙本金地・彩色、山種美術館。
(撮影:I.HOSOKAWA)

写真6 会場風景。
速水御舟 重要文化財《名樹散椿》1929(昭和4)年、紙本金地・彩色、山種美術館。
★注意:7月7月までの展示
(撮影:I.HOSOKAWA)

写真7 会場風景。
速水御舟 重要文化財《名樹散椿》の部分。
1929(昭和4)年、紙本金地・彩色、山種美術館。
★注意:7月7月までの展示
(撮影:I.HOSOKAWA)
 

【展覧会名】
山種美術館 広尾開館10周年記念特別展
生誕125年記念 速水御舟
【会期・会場】
2019年6月8日~8月4日 山種美術館
電話:ハローダイヤル 03-5777-8600
http://www.yamatane-museum.jp

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