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エミール・ガレ ― 自然の蒐集

2018年7月5日

ガレの創造の源泉とは? 箱根のポーラ美術館で7月16日まで。

 ■ヘッケル博士
 (( ヘッケル博士! 
    わたくしがそのありがたい証明の
    任にあたつてもよろしうございます))
 これは、宮沢賢治(1896~1933年)が1924年に発表した詩集「春と修羅」のなかの「青森晩歌」にある言葉だ。この部分だけだとわかりにくいが、亡くなった妹に対面する賢治の悲痛な思いが伝わってくる。このヘッケル博士とは、ドイツの有名な生物学者エルンスト・ヘッケル(1834~1919年)のこと。ヘッケルの著作は、エミール・ガレ(1846~1904年)にも多大な影響を与え、ガレに新しい世界を開かせることになる。

 ■ガレと自然、ガレの多面性/光る会場構成
 フランスのアール・ヌーヴォーを代表する工芸作家エミール・ガレ。そのガラス工芸の全貌を紹介する展覧会が、自然に囲まれた箱根のポーラ美術館で開催中だ。モネ、ルノワール、ピカソなどの名作を所蔵することで知られるポーラ美術館は、ガレの作品も多数所蔵する。そのなかから厳選した60点を含め、総数約130点のガレのガラス工芸の傑作が、本展に出品されている。ガレは植物や昆虫や水生動物などをモティーフとし、高度な技術の粋を尽くし、工芸を卓抜なる芸術作品に昇華させた。そして万博でグランプリを受賞するなど、当時から高い評価を得た。

 本展覧会は、ガレの創造の源泉である自然を森と海からアプローチし、ガレと博物学の関係に注目する。そして彼の初期から晩年までの作品の変遷を追う。巧みな会場構成が光る。会場ではガレの生命感あふれる繊細な芸術を満喫できるとともに、それらが学術的基盤、文学の教養、また優れた経営手腕などガレの多面性の産物であることを教えられる。

 なお、アール・ヌーヴォーとは「新しい芸術」の意で、19世紀末から20世紀初頭のヨーロッパを中心に開花した芸術運動・様式である。建築、絵画、彫刻、工芸の領域に共通して展開し、装飾と美術の融合を目指した。名称の由来は1895年にパリに開店した美術商ジークフリート・ビングの店の名だ。その表現の特徴は、自然界の動植物のもつ流麗な有機的曲線の再構成である。象徴主義や唯美主義への傾倒がみられる。アール・ヌーヴォーはそれまでの異国の美術や過去の芸術の模倣が乱立する状況に抗おうとするものだった。

 ●展覧会構成 本展の構成は、以下のように四つの章ともう一つからなる。
 第1章 初期―エナメル彩の魅力/第2章 神秘の森/第3章 驚異の海/自然の蒐集―ガレと博物学/第4章 晩年―象徴主義を超えて

 ■初期のエナメル彩の作品
 展覧会場入り口前で、ガレが制作した奇妙な魅力をもつ陶器の犬(《犬型陶器》、1865~1890年代、ポーラ美術館)が迎えてくれた。会場にはいると、ガレの初期のガラスの器が整然と並んでいる。フランス東部のナンシーに生まれ、同地で活躍したガレは、1867年に21歳で父のガラス業・製陶業に正式に加わり、1877年に事業を受け継いだ。初期の仕事の特徴は、透明ガラスに練り絵具を筆で彩色したエナメル彩である。イスラム文化圏でみられるアラベスク文様や、生涯を通してモティーフとした植物や昆虫も多く描かれている。

 《バッタ文花器》(エミール・ガレ、1878年頃、サントリー美術館)(※工芸作品の作者は全てエミール・ガレ。以下、略)は、下部が球形の器。涼し気な淡青色の透明ガラスに、バッタが生き生きと、また白菊が流れるように描かれ、口縁に唐草模様が取り巻く。金彩の部分は日本の蒔絵のようだ。素地には斜めに凹凸の畝が走り、輝く様子は水中を思わせる。これはガレが自ら開発した技術による月光色ガラスで、大変な人気を博した。1878年のパリ万博に出品した《鯉文花器》は、『北斎漫画』から図案を借用したものだが、これも月光色ガラスの作品でパリ装飾美術館の買い上げとなった。

 《菊花文花器》(1900年頃、ポーラ美術館)はカラフルだ。上に向かってやや細くなる形の器に、黄色と青色の大輪の菊が繊細に描き分けられ、上部に蝶が舞う。口縁にも蝶が連なる。背景には霞がたなびき、その間にひび割れのような文様が広がる。本作もエナメル彩と金彩を併用。ガレは日本の造形の特質を取り入れるジャポニスムの代表的な芸術家としても知られる。彼は日本を「キクの国」と称したが、菊の花は百合などともに日本趣味を示す代表的な植物だった。ガレは、ナンシーに1885年から3年間農商務省の技師として日本から留学していた高島北海(1850~1931年)と親交をもち、彼から日本の植物について教示を受けた。

 ■ガレの森/「わが根源は森の奥にあり」
 「わが根源は森の奥にあり」とのガレの言葉は、その工房の木製門扉に彫りこまれていた。これは自身の創造の源を示すとともに、循環する生態系をも意味するといわれる。

 《昆虫文脚付杯》(1889年、個人蔵)は、「悲しみの花瓶」として1889年のパリ万博に出品したシリーズの一つ。すすけたような黒ガラスが独特の趣だ。透明ガラスに2つの暗色のガラスを被せている。正面に天に向かうスズメバチが、また他にも昆虫が描かれ、底面にはウィリアム・シェイクスピア(1564~1616年)の『真夏の夜の夢』からの引用が刻まれている。ガレは工芸と文学を繋ぎ、その世界を広げ、高めた。また彼は1885年、中国の玉や清朝のガラス作品をベルリンで詳しく調査した。清朝乾隆帝時代の被せガラス製鼻煙壺を蒐集も行っている。ガレの黒ガラスシリーズは、中国のガラスの影響の可能性が指摘されている。

 《ケシ文花器》(1900年頃、ポーラ美術館)では、器の形態がケシの実を表す。白い素地に伸びていくケシの蕾や葉の緑色が映える。さらに暗色で枯れ落ちる花びらが重なる。植物の生涯を一つの花器に結晶させた。花びらの彫刻的な表現は、ガレが寄木細工に倣って考案したガラスでの象嵌技法マルケトリーによるもの。ガレは特許を取得し、1900年のパリ万博での作品でも使用し、1889年のパリ万博に続いて2回目のグランプリを受賞した。

 ガレの活躍の地ロレーヌ地方のナンシーは園芸が盛んだった。その契機となったのは1830年代に著名な植物学者ドミニク=アレクサンドル・ゴドロン博士が赴任したこと。ガレは少年期にゴドロンと知り合い、その指導のもとに植物学にのめりこんだ。1873年に自宅の庭園造営を父に任されたが、1万平方メートルの面積の庭園はガレ没後には2500種の植物が蒐集されていた。これらは作品の生きたモティーフだった。ガレは芸術家であるとともに植物学者でもあった。ロレーヌ地方の野生ランの進化の研究を行い、1900年の万博の際に開催された国際植物学会で発表している。植物に関する専門的著作も多く執筆した。

 ■ガレの海/ヘッケルの著作
 生涯にわたって森の生き物や生態を主題としたガレだったが、1899年から亡くなるまでの最晩年の5年間は海の生き物や生態に興味をもち、作品に取り入れた。なんと、クラゲもある。《くらげ文大杯》(1898~1900年、サントリー美術館〈菊池コレクション〉)は、上部には被せガラスによりクラゲと海藻を、下部には渦巻く深海の海流を、色を曇らせるパティネの技法で表現している。《クラゲ文花瓶》(1900~04年、北澤美術館)は、明るい色彩だ。大きなクラゲが花瓶一杯に身体を広げてユラユラしている。また、《海藻と海馬文花器》(1905年頃、ポーラ美術館)は、透明ガラスと赤の被せガラスの間に緑色で海藻を示す帯を入れ、表面にエッチングで海馬(タツノオトシゴ)が彫られている。海馬は海中で潮に流れされないよう海藻に尾を巻きつけているそうだ。その生態をガレは熟知していた。本作の口縁部にシャルル・ボードレール(1821~67年)による『悪の華』のなかの「人間と海」の詩文が彫られている。

 ガレのこのような海への好奇心を直接刺激したのは、ドイツの生物学者で進化論者であったエルンスト・ヘッケル(1834~1919年)が著わした『自然の芸術形態』(1899~1904年に配本)だと考えられている。ガレはこの著作を所有していた。本記事の冒頭に記したヘッケル博士の著作である。ヘッケルはここに鉢クラゲなど有機的な曲線をもつ海生無脊椎動物の姿を多数掲載した。対称性を重視して構成し配置した見事な図版だ。本展ではその図版が50点展示されている。

 ■博物標本とともに/同時代の絵画とともに見る
 ガレの工芸作品と、モティーフとなった植物や昆虫や貝や鉱物などの博物標本が並ぶ展示は壮観である。このアイデアには脱帽した。ガレが作品に取り入れた生き物は同定できるようだ。例えば、流麗になびく草花の上に蝶が舞う様子を表現した《草花文耳付花器》(1895年頃、ポーラ美術館)の前に、東京大学総合研究博物館所蔵のアオタテハモドキなどの美しい蝶の標本が置かれている。比べてみると、ガレは蝶を正確に描写していたことがわかる。工房の弟子たちにもそのことを厳しく指導していたそうだ。しかしながら、両者が全く同じではないことも確かだ。ガレの器にある蝶は動いている。ひらひらと空を舞っているように見える。

 また、ガレと同時代に同じモティーフを描いた絵画とも並べての展示も行われており、興味深い。時代背景も浮かび上がる。驚かされたことの一つは、ポーラ美術館が誇るクロード・モネ(1840~1926年)の二つの絵画《睡蓮の池》(1899年、油彩/カンヴァス、ポーラ美術館)と《睡蓮》(1907年、油彩/カンヴァス、ポーラ美術館)の間に、ガレの睡蓮の花瓶と杯が挟まれて展示されている。なんと贅沢なことだろう。

 ■晩年の生と死を暗示する作品/装飾の立体化
 《蘭文八角扁壺》(1900年頃、北澤美術館)は、桃色のカトレアの花がそのまま壺に貼りついたようだ。圧倒的な立体感。裏には朽ちたカトレアが表現されている。花の部分はアプリカシオンの技法によるものだ。一つの壺に生と死を込めている。独特の色彩や立体的な表現は、中国清朝のガラス工芸の影響もあるのだろうか。《蜻蛉文脚付杯》(1904年頃、ヤマザキマザック美術館)は、宇宙をも思わせる深い青色の地に蜻蛉(トンボ)が浮かぶ。よく見るともう一匹蜻蛉がグラヴュールの技法で彫り出されている。最晩年に制作された本作は、格別の詩情がある。ガレは生涯にわたり、はかないものとしての蜻蛉を好み、数多の作品の主題とした。『北斎漫画』の蜻蛉の図版や、山本芳翠(1850~1906年)がジュディト・ゴーチエの和歌の訳に挿絵を描いた『蜻蛉集』(1885年)の影響も考えられる。ガレは1904年に白血病で亡くなったが、死期を前にした最晩年、親しい人たちに蜻蛉の脚付杯を形見として贈っていたという。
 本展を巡り、箱根の自然の森を散策したくなった。

 ※ピカソ作《海辺の母子像》に関する新発見 なお、ポーラ美術館所蔵のパブロ・ピカソ(1881~1973年)の青の時代の代表作《海辺の母子像》(1902年、油彩・カンヴァス、ポーラ美術館)について、新しい発見があったことが、先日発表された。ポーラ美術館は、 米国のワシントン・ナショナル・ギャラリー、 カナダのアートギャラリー・オブ・オンタリオとの共同調査を行い、ハイパースペクトル・イメージングによる調査で、作品の下層部に1902年1月18日のフランスの新聞紙の貼り付けがあることを発見した。本作は同館の常設展示会場で8月中旬まで展示されている。


【参考文献】
1) ポーラ美術館学芸部(担当:工藤弘二・山塙菜未)編集:『エミール・ガレ―自然の蒐集』(展覧会カタログ)、西野嘉章・大澤啓・佐藤恵子・池田まゆみ・工藤弘二・山塙菜未 執筆、ポーラ美術館 発行、2018年。
2) 天沢退二郎 編:『新編 宮沢賢治詩集』、岩波書店(岩波文庫)、1991年。

執筆:細川 いづみ (HOSOKAWA Fonte Idumi) 
(2018年6月)


※会場内の風景画像は主催者側の許可を得て撮影したものです。



写真1 会場風景。
左手前は、エミール・ガレ《蜻蛉文脚付杯》、1904年頃、ヤマザキマザック美術館。
最晩年の作品である。
(撮影:I.HOSOKAWA)



写真2 会場風景。
エミール・ガレ《ケシ文花器》、1900年頃、ポーラ美術館。
(撮影:I.HOSOKAWA)



写真3 会場風景。
(撮影:I.HOSOKAWA)



写真4 会場風景。
右は、エミール・ガレ《クラゲ文花瓶》、1900~04年、北澤美術館。
左は、エルンスト・ヘッケル著『自然の芸術形態』より「鉢クラゲ類」、1899~1904年、ポーラ美術館。
(撮影:I.HOSOKAWA)



写真5 会場風景。
エミール・ガレ《蘭文八角扁壺》1900年頃、北澤美術館。
(撮影:I.HOSOKAWA)



写真6 展覧会会場の入り口にて。
エミール・ガレ《犬型陶器》、1865~1890年代、ポーラ美術館。
(撮影:I.HOSOKAWA)

【展覧会名】
エミール・ガレ ― 自然の蒐集
Emile Gallé:Collecting Nature
【会期・会場】

2018年3月17日 ~ 7月16日 ポーラ美術館
電話:0460-84-2111(代表)
[展覧会詳細]http://www.polamuseum.or.jp/sp/emile_galle/
[ポーラ美術館HP]http://www.polamuseum.or.jp/

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