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【山種美術館開館50周年記念特別展】
山種コレクション名品選Ⅲ
日本画の教科書 京都編
―栖鳳、松園から竹喬、平八郎へ―

これほどの日本画の名作に出合えるとは。
近代日本画の京都画壇の躍動。2月5日まで開催。

  山種美術館は、50年にわたり広く親しまれ、高い評価を得ている。1966年7月に日本初の日本画専門美術館として東京・日本橋兜町に開館。2009年、渋谷区広尾に移転し現在に至っている。山種コレクションの基盤は、山種証券(現・SMBCフレンド証券)の創立者である山﨑種二(やまざきたねじ)が「美術を通じた社会貢献」という理念のもとに収集した作品だ。彼は「絵は人柄である」と考えをもち、当時活躍していた画家と直接交流しながら収集を行った。この山種コレクションの魅力を満喫できる展覧会が開催中である。近代・現代日本画を中心とする所蔵品約1800点から厳選した名品選展を2回に分け、本展では京都画壇を、次回展では東京画壇を紹介する。本展を廻り、重要文化財2作品を初め日本美術史上の重要作ばかりのめくるめく展開に驚嘆した。

  ■近代日本画の京都画壇
  明治以降日本画の画家たちは、激動する社会状況のなかで西洋絵画と対抗しうる日本画の構築を目指し、大きくいうと京都と東京の画壇でそれぞれ革新を進めていった。本展で紹介する京都画壇の特徴は、古来の伝統表現を受け継いだことだ。特に江戸時代中期に活躍した写生を重んじる円山応挙(1733~95年)を祖とする円山派と、情趣に富む文人画を描いた蕪村(1716~84年)に師事し応挙にも影響を受け独自の画風を確立した呉春(1752~1811年)を祖とする四条派という、二大潮流の土壌である。多くの京都の画家は円山・四条派の写生を基盤にしながら、西洋画の技法を取り入れ、新たな創造を行った。

  また、1880(明治13)年、日本で初めての公立の美術教育機関である京都府画学校を、京都の画家たちが研鑽の場として開校させたことも特記できるだろう。東京美術学校開校の9年前のことだ。現在の京都市立芸術大学の起点になるものだが、その教授陣は京都画壇の重鎮たちだった。それまでの流派に分かれていた指導体制から、流派を超えた美術教育への転換は、日本画の革新に重要な役割を担った。本展のごく一部を紹介したい。

  ■竹内栖鳳《班猫》(重要文化財) 
  会場で最初に対面するのが、京都画壇を率いた竹内栖鳳(1864~1942年)の代表作で《班猫》(1924〈大正13〉年、山種美術館所蔵)(※以下、所蔵先は全て山種美術館)だ。重要文化財である。日本画で最も有名な猫だろう。思いのほか大きな画面の中央やや右寄りに、背中を見せて振り向いた形の猫だけを配す。こちらを見つめる青緑の眼差しのなんという魅惑。作品から左右に少し離れてみたが、目が合う不思議。ふわふわの毛並は墨、胡粉、金泥で緻密に描かれる。瞳にも金泥を使用。金泥の使用は伝統技法だ。近づくとさっと逃げそうだ。猫のしなやかな姿態と敏捷性も十全に表現され、迫真性に富み、崇高である。

  本作の横に、栖鳳撮影による猫の白黒写真が置かれている。2000年頃、広島の「海の見える杜美術館」で発見されたものだ。栖鳳は、旅先の静岡県沼津の八百屋の店先でこの猫を見つけ、「徽宗皇帝の猫だ」と直感。どうしても描きたくなって、猫を京都に連れ帰り、座右において写生を重ねて本作を完成させた。徽宗とは、中国の北宋第8代皇帝(在位1100~25)であり、精緻で写生的な花鳥画の名手だった。そして「徽宗皇帝の猫」とは、徳川将軍家に秘蔵されていた伝徽宗皇帝筆《猫図》(※出品無し)を指す。筆者は、モデルの猫は確かに伝徽宗皇帝筆《猫図》に酷似すると思うが、栖鳳筆《班猫》は、モデルの猫も伝徽宗筆《猫図》も超えた別趣の境地にあると感じる。

  竹内栖鳳は中国や日本の絵画の伝統を重んじ、特に動物画を得意とした円山・四条派の技法を基軸にしながら、積極的に習得した西洋の写実的表現を取り入れ、独自の情感豊かな絵画世界を創造した。1937年に文化勲章を受章。栖鳳は写生に関して次のように語っている。「写生したものが皆絵になるものではない。写生は絵になるものを探す手段だ。写生が天然自然から画家自身で絵になるものを探し出す手段ならば、古画は先達がどんな自然を見たのかの心の跡を偲ぶ材料だ」(「栖鳳語録」『国画』2巻9号、1942年9月)。観る者の心と目をとらえて離さない《班猫》は、栖鳳が達成した動物画の極致であろう。同時に、猫であって猫ではないのではないかとも思え、女の人にも見えてくる不可思議な作品だ。なお、栖鳳の作品は本作を含めて7点出品されている。

  ■村上華岳《裸婦図》(重要文化財) 
  村上華岳(1888~1939年)の代表作で重要文化財の《裸婦図》(1920〈大正9〉年)は、深い精神性をたたえている。縦163.6×横109.1cmの大画面。薄茶系の背景にして薄物をまとった女性が腰をかけ、右手に小さな花を掲げる。神秘的で崇高であり、同時に女性らしさや優しさに溢れる。「…人間永遠の憧憬の源であり理想の典型である「久遠の女性」の一部として「裸婦図」を描いた時」「…あらゆる諸徳を具えた調和の美しさを描こうとした」1920年)(『画論』弘文堂書房、1941年2月)との彼の言葉が残る。

  華岳は、京都府画学校から続く京都市美術工芸学校や、京都市立絵画専門学校(絵専)で竹内栖鳳に学び、栖鳳から絶賛を得た。1918年には絵専の同期生5人と共に文部省美術展覧会(文展)の審査基準に反発し、国画創作協会を結成。新しい日本画を求めて、約10年間精力的な活動を行った。同協会の監査顧問には竹内栖鳳を迎えている。《裸婦図》はこの時期に制作された、華岳の画業の一つの到達点とされる。《裸婦図》にはインド・アジャンター石窟壁画の菩薩像や観自在菩薩の影響に加え、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519年)の《モナ・リザ》との関係が指摘される。本作を完成後、華岳は女性像を全く描かなくなった。華岳が理想に向かい、日本の伝統も東洋美術も西洋画もあらゆる勉強の成果を取り入れ挑戦した作品といえるだろう。

  ■上村松園《砧》
  上村松園(1875~1949年)は、真善美の極致を目指し、たおやかで品格ある美人画を描いた女流画家だ。女性初の文化勲章を1948年に受章。最初、京都府画学校および鈴木松年(1875~1949年)に学ぶが、その後、竹内栖鳳の師である幸野楳嶺(1844~95年)、そして竹内栖鳳の画塾「竹杖会」に入門した。風俗画の様式を脱して、独自の新しい理想の近代美人画を確立させた。松園は女性の外面の美だけでなく、その内面表現も追求し成功している。膨大な古画の写生を残し、実物写生も多く行った。

  《砧》(1938〈昭和13〉年)は、松園も親しんだ能のなかでも格の高い世阿弥の「砧」に題材をとった作品。砧とは、布地を石や木の台に載せ木の鎚で打って艶を出すこと、及び台そのものも指す。本作は縦217×横113cmの大作。中央に金銀の落ち葉が散る模様の浅葱色の打掛をまとった江戸の元禄時代の姿の美人が凛と立ち、向かって左に顔を向け、眼差しは上空を仰ぐ。手前左には蝋燭と砧が置かれている。世阿弥の能「砧」では、九州から京に上り3年経っても戻らぬ夫を待ちわびる妻が砧を打つ。中国唐の蘇武が匈奴との戦いで胡国にいた時、国元の妻が夫の身を案じて打つ砧の音が蘇武に届いたとの故事に倣ったのだ。しかし寂しさは募り、その後亡くなる。松園筆《砧》からは、静寂のなか心の内に秘めた妻の一途な思いが切々と伝わる。なお、松園作品は本作含め5点出品。

  「私は大てい女性の絵ばかり描いている。しかし、女性は美しければよい、という気持ちで描いたことは一度もない。一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵こそ私の念願とするところのものである。・・」(「棲霞軒雑記」『青眉抄』六合書院、1943年10月)。これは上村松園による言葉である。

  ■魅力的な作品群
  その他も実に多彩な名作が展開する。都路華香(1870~1931年)による南画風の《萬相亭》(1921〈大正10〉年)の興趣も印象深い。華香は、竹内栖鳳と共に幸野楳嶺の門下である。また、村上華岳と共に国画創作協会で活動した土田麦僊(1887~1936年)が描いた大きな金地屏風《大原女》(1915〈大正4〉年)は、桃山障壁画に学んだといわれる作品。麦僊は写実と装飾の融合を目指した。小野竹喬(1889~1979年)筆《冬樹》(1976〈昭和51〉年)や《沖の灯》(1977〈昭和52〉年)はモダンな構成と色調の風景画。竹喬も国画創作協会の仲間だった。福田平八郎(1892~1974年)の《筍》(1947〈昭和22〉年)などは律動的でデザイン性に富む。彼は京都画壇の特徴である写実から出発し、変化を遂げた。

  必見の展覧会です。是非足をお運びください。また次回の東京編の展覧会(2月16日~4月16日)もあわせてお楽しみください。


【参考文献】
1) 山下裕二 監修、山種美術館学芸部 編集、山﨑妙子・髙橋美奈子・三戸信惠・櫛淵豊子・南雲有紀栄・塙 萌衣 執筆:『開館50周年記念 山種美術館 近代日本画名品選100』、山種美術館、2016年。


執筆:細川いづみ (HOSOKAWA Fonte Idumi) 

(2017年1月)


※会場内の風景画像は主催者側の許可を得て撮影したものです。
20170129_001
写真1 会場風景。
竹内栖鳳《班猫》【重要文化財】、1924〈大正13〉年、山種美術館。
(撮影:I.HOSOKAWA)

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写真2 会場風景。
村上華岳《裸婦図》【重要文化財】、1920〈大正9〉年、山種美術館。
(撮影:I.HOSOKAWA)

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写真3 会場風景。
上村松園《砧》、1938〈昭和13〉年)、山種美術館。
(撮影:I.HOSOKAWA)

20170129_004
写真4 会場風景。
左から、小野竹喬《冬樹》、1976〈昭和51〉年、山種美術館。
小野竹喬《沖の灯》、1977〈昭和52〉年、山種美術館。
(撮影:I.HOSOKAWA)

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写真5 会場風景。
都路華香《萬相亭》、1921〈大正10〉年、山種美術館。
(撮影:I.HOSOKAWA)


【展覧会英語表記】

The Best of the Yamatane Collection III
Definitive Nihonga Masterpieces: The Kyoto Art World
― 19th Century to Contemporary Paintings
【会期・会場】
2016年12 月10日~2017年2月5日  山種美術館
<電話> 03-5777-8600(ハローダイヤル) 
【展覧会詳細】http://www.yamatane-museum.jp/


※本文・図版とも無断引用・無断転載を禁じます。


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